蜀同盟

蜀の民よ、集いたまえ。~諸葛亮中心の三国志話と、現代世俗話~

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蜀同盟(c)吉野圭

巨大な力を「受け流す」手法はあらゆる場面で有効、軍事でも適う

再び豪雨被害が警戒されている。被災地の方々の心労はどれほどだろう。胸が痛い……。

 

ツイートの繰り返しで想いを綴るが、これほど毎年甚大な被害を受け続けるわけにはいかないのでは?

日本もそろそろ「痛みに耐える」だけではなく、合理的に、古代人の知恵にならい自然を操る手法を取り入れるべきと思う。

ダムや堤防も結構なのだが、自然の力を受け流す治水概念を中心に置いたらどうなのだろう。

 

以前から何度も洪水を防いで横浜を守ってきた鶴見川の「流域治水」が、今回ラグビーのスコットランド戦が無事に行われたことで注目を浴びている。

鶴見川は全国モデルとして模範となっているらしい。

 

参考ブログ様:

shaddoll.com

流域治水は、遊水地となる地域の住民に立ち退いてもらわなければならないなど、人権や費用の面で難しい。法改正すら進まない自治体が多いという。

でもそんなことを言っていられる状況ではない!

日本の水災による被害は戦争に等しいと思う。毎年、これほど甚大な経済損失を被るくらいなら、流域治水に金をかけたほうが遥かに良いだろう。何より、人の命を守らなければならない。(これが情と物理を兼ねた合理)

 

昔書いた、中国四川・都江堰に関する記事でも同じことを書いた気がする。以下、当時の記事から転載。

 

神の業、都江堰 -古代と現代のバランスを

都江堰(とこうえん)は世界最古の水利施設である。
洪水を防ぎ、さらに水不足に悩んでいた地へ水を導いた。
この都江堰があるから蜀(四川)は潤い、作物が豊かに実る肥沃な土地となっている。

紀元前の人間が成した神の業。
古代の人はこれだけの知恵を持ち優れた事業を成している。

 

比べて現代の人々は……。
欲望のまま無謀にダムを造り、水の流れを阻害し、今こうして現実の脅威に直面している。
既にこのような反対論が出ていたにも関わらず経済発展という餌を貪ることしか考えられなかったのか。

 http://www.pwri.go.jp/team/suiri/ao_yoshi_trip.htm
 ダム建設反対論者の理由:
 (4) その流域の地質は、断層が多く地震の発生しやすいところであり、ダムは下流の安全を脅かす。

古代に比べて現代人の知恵はあまりにも浅はか、やはり人間の知能は退化しているのだとしか思いようがない。どこまで現代人は愚かに落ちれば気が済むのか?

 

だからと言って古代のほうが文明的に優れていたとか、古代へ回帰せよ等と唱えることもしたくない。
それもまた偏った夢想。現代技術を嫌悪し否定し、何もかも一気に排除しようと考えるのは危険なユートピア思想に繋がる。
現代には現代なりの技術があり、過去には考えられない繁栄をもたらしていることは事実。何より当面、この危機を乗り切るためには現代技術での修繕が必要……。
 
ただ現代の技術のみに偏り過ぎては破滅するだろう。

もっと先人の知恵へ敬意を払って欲しい。
水を恐れ、神を恐れてくれ。

三峡ダムも酷い、彼らは自らを養う水への敬意を忘れたのか。今のまま反省なければ、各地が洪水に見舞われることは明らか。


古代技術と現代技術のバランスが必要だ。
両極にあるどちらかを棄ててはならない。

 

事情の詳細を知らず、専門家でもない一般外国人の私が出来るのは、こんな片隅で精神を呟くことくらい。
無論、自然の脅威を忘れて無茶苦茶なことをしているのはあの国だけではなく、日本を含めた世界中の多くの国について同じことが言えるのだろう。それに今さら一人で声高に自然主義を叫んでどうにかなるとは思えない。
けれど今の危機に晒されている狭い地域に関して、何の因果か「水」というキーワードが自分の中で合致してしまったので、いたたまれなくて書いている。

いつも人は驕り高ぶり技術で身を滅ぼす。
水に敬意を払わなければ、水の報復を受ける。

 

どうか杞憂で終わりますよう。これ以上の災害がありませんよう。

どうかどうか、生きている皆様、無事で。

(2008年5月15日筆)

 

「力を受け流す」物理は全ての分野でも有効

上の記事を書いている時点では311も知らず、真備町の水害も目の当たりにしていなかったので、まさか我が国のほうで杞憂が現実になるとは思っていなかった。

技術が低く人命をおろそかにしまくりな中共ならまだしも、高い技術力を持ち、災害経験豊富な日本国であれほど多くの人命が失われるとは。

現代人がいかに力学を無視した非現実的な考えのもと、甘えて生きているかを知って落胆した。恐怖も覚える。

 

現代人が力学を知らないという傾向は、最近の世界情勢を眺めていても感じる。

 

上記事は曖昧な精神論だが、万事に共通。

当然ながら軍事でも同じと言える。

純粋な力学である軍事・戦争では、力の強い者が勝つ

 

――この「力」は多くの人が誤解しているように兵器の数だけではなく、「人間の支援」「軍隊の士気・結束力」など可変の要素も含む。「人間の支援」や「士気」を高めるのは「情」であるから、「情は無意味」と考えるのもまた間違い。

さらに言えば、「勝利」とは単純に領土獲得だけを意味するのではなく、何らかの理念を広め浸透させることを意味することもある。

(例:三国時代において蜀が1800年続く物語性を勝ち取ったように)

 

この通り戦争における軍事力計算は単純ではなく、勝利の概念すら実は一通りではないのだが。

近現代人は軍事の力学をおろそかにし、目的すらはっきりと持たず、ただ闇雲に巨大な力へ立ち向かって玉砕するだけであることが多いように思う。

 

目も当てられない無謀

たとえば今の香港市民。

若者たちが丸腰の無防備で巨大権力へ突進して行き、死ぬことを美学と考えている。

曰、

「独裁国家に自由を奪われるくらいなら、我々は立ったまま死ぬ」

 

勇気と純潔さには感動するが(そしてその純潔さが多くの外国人の関心を引いていることは確かだが)、今のままの香港ではまだ「物語性」という勝利すら獲得できないだろう。

 

物語性を得るためにはもっと長期で戦うことが必要。

間もなく香港がウイグル化すれば、世界は彼らを救えなかった罪悪感から目を逸らし、香港は歴史に埋もれて忘れ去られることになるように思う。

 

 私はいたたまれず、ツイッターの片隅で何度も「逃げろ」と呼び掛けてみた。

これもその一つ。「生き延びるために撤退しろ」と言ってもあまりに露骨に拒絶されるため、やんわり遠回しに呼び掛けているのだけど、やはり閲覧する人も少ない。

翻訳:世界中の国々から軽蔑されており、経済力を失いつつある中国共産党は間もなく衰退・崩壊する。相手の力が弱まるまで避難していれば、香港市民は戦わずして独立を勝ち取ることができるだろう。

 

けれど応答する香港人はいなかった。(直接にリプを飛ばしても無視)

 

今の彼らに「生きろ」という声は届かないのか。

「突撃と死」しか頭にないようだ。

 

あの勇気ある人々を失うのはあまりにも悲し過ぎる。

 

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