蜀同盟

蜀の民よ、集いたまえ。~諸葛亮中心の三国志話と、現代世俗話~

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蜀同盟(c)吉野圭

かつての青年は風とともに生きた。ボブ・ディランと阿久悠の歌

先ほどYouTubeで迷い込み、聴いていて涙が出た曲。

 

 

もちろん昔から何度も耳にしたことのある曲だが、世代ではないのでじっくり向き合うということもなく、この年になって※初めて歌詞が身に染みた。

 

※プライベートブログに通われている方は筆者の年齢をご存知でしょうが、ちょうど諸葛亮の最初の北伐時と同じです(改めて計算して血の気が引いた。溜息が出る。年齢にしては幼稚だな自分。ディスイズ現代人)

 

ボブ・ディラン『Blowin' in the wind(風に吹かれて)』

上の投稿より日本語訳を引用。原文に合わせ「?」追加。

どれだけの道を歩めば

人として受け入れられるのだろう?

どれだけの海を渡れば

白いハトは休息できるのだろう?

どれだけ砲弾を打ち合えば

弾は底をつくのだろう?

 

答えは友よ風の中にある

風の中にある

 

どれだけの間、山は存在できるのだろう

海に削られてしまう前に?

どれだけの時が経てば

人々は自由になれるのだろう?

どれだけ振り向けば人は 

真実に目を向けるのだろう?

 

答えは友よ風の中にある

答えは風の中にある

 

どれだけ見上げれば

青空が見られるようになるのだろう?

人はどれだけの耳を付けたら

人々の叫びが聞こえるのだろう?

どれだけの死があれば気付くのだろう

あまりにも多くの犠牲が出ていることに

 

答えは友よ風の中にある

答えは風の中にある

 

答えは友よ風の中にある

答えは風の中にある

 

風に吹かれて ボブディラン 日本語訳付き2 - YouTubeより

※「振り向けば」は「顔を背ける」の意、つまり見て見ぬ振りをする

太字の箇所、本当にそうだと思って共鳴する。

今まさに香港で出ている犠牲や、残虐なウイグル収容所の暴力などが投影されて辛い。

 

少し違うのかもしれないが『風の会話』を思い出した。

故・阿久悠の歌で、中国制作アニメ『武将伝 三国演義』の日本版主題歌に使われていた。

私はこのドラマを観ていないが、夜中の再放送で見かけて「いい曲だな……」と聞き入ったのを覚えている。(その後、曲を購入してもいる)

 

 少し前までは

青年は風と話した

それが彼らの流儀だった

 

人と話すより

吹き抜ける風をつかまえ

心意気など告げたものだ

 

何処(いずこ)へと風が訊ねる

彼方へと彼は答える

その時 既に風は

青年を置き去りにしている

 

先回りしているから

迷わずやっておいで

疲れ果ててる頃を 見計らい

声をかけてあげるよ

 

阿久悠『風の会話』より

 

「人と話すより 風をつかまえ心意気など告げたもの」

分かる、とても分かると思った。

阿久悠時代の青年では全くないのに何故か激しく共鳴したのだった。

 

「先回りしているから迷わずやっておいで

疲れ果ててる頃を 見計らい声をかけてあげるよ」

には今、再び聴いていて泣いてしまった。

遠く先に逝った人々のことなどを投影してしまい。

 

ボブ・ディランの『風に吹かれて』とはシチュエーションが違うのかもしれないが、昔の人たちが風を感じて生きたことでは同じ。

ディランは風に舞う答え(真実)を観ようと目をこらし、阿久悠など昔の東洋人は風へ志を告げて独り歩いた。

どちらも孤独を友として、自分で道を見つけようとしたのだった。

 

これは現代的に分かりやすく言うなら「自分で考えた」ということ。

安易に徒党を組み、教祖の言うなりになって何も考えずついて行くことを恥とした。

ほんの数十年前まで生きていた「青年たちの流儀」が今はどうしてこれほど見事に消えてしまったのだろうか?

 

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