蜀同盟

蜀の民よ、集いたまえ。~諸葛亮中心の三国志話と、現代世俗話~

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蜀同盟(c)吉野圭

姜維は何故、諸葛亮へ従ったのか?

姜維について書こうと思いながら引き延ばしてきました。

彼については一般的にも評価が定まらないうえ様々な説が入り乱れ、どの話を信頼して良いか分からない。(諸葛亮の死後は私もイメージが弱いため選び取ることが出来ない)
それから蜀史として悲しい時期の話でもありますので、色々思ってしまい自分自身の考えがまとまらない。正直言って以前から見ないようにしていた部分でもあります。
彼を語るのは時期尚早。せめてもう少し文献を漁るまで、姜維の全人生を紹介するのは控えたいと思います。

ともかく今は、持っている本や資料から青年期の彼を紹介していきます。

 

姜維の生い立ち

姜維(きょうい)、字は伯約(はくやく)

涼州の天水郡冀県出身。
涼州とは現在の中国甘粛省。参照 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E7%B2%9B%E7%9C%81


“西の辺境”涼州は、古くから漢民族より見た異民族(モンゴル、チベット族等)からの侵攻を受け、また彼らとの交流も深めていた。

姜維は姜の姓から「きょう族(チベット族)」との関係が深いように私は感じる。
彼が周囲から疎まれていたのは、その頑な性格のせいだけではなく、民族差別もあったのではないかとも考えている。むしろ差別されたからこそ、頑なな性格に育ったのかもしれない。

父親は姜冏(きょう・けい)といって天水郡の助役だったが、異民族の反乱が起きた際に知事を守って死んだ。
父の死後、姜維は母と二人で暮らした。十代の頃は、鄭玄(経学の大家)の学問を好んで学んだという。だから維は『詩経』や『論語』に精通し、深い解釈を持っていたことになるだろう。テキストをざっと読み流して終わり、の亮とは大違い。


出仕すると維は父親の功により、郡中央の官僚に抜擢される。ここで郡の軍事に参与することになった。

 

演義フィクションのとんでもない設定

さて、『三国志演義』での展開はこの後から凄いことになる。
まとめるとだいたいこんな感じか。

「姜維は諸葛亮と対戦して打ち破る。
その戦いぶりを見た諸葛亮は、姜維の才能に惚れ込む。
彼を手に入れるため策を弄する諸葛亮……
まず“姜維は裏切り者だ”という噂を流し、締め出しをさせ、姜維が行き場を失ったところを追い詰めて捕獲。自分に従うよう説得。
姜維、諸葛亮に心酔し、従う」

遥か昔につまみ読みしたフィクションの記憶(確か吉川英治の小説だったと思う)より。間違っていたらすみません。


自分を騙した相手に心酔してしまうフィクションの設定は理解不能

現実だったら怨みを持たれるだけだろう……。

(演義って本当に理解不能な設定ばかり!)

 

私だったらスカウトしたい相手へ嫌がらせをすることは絶対にないし、現実の姜維もこんな最低な人物に心酔することは有り得なかったと思う。

 

現実どうだったのか

けれど、現実も不思議ではある。

史実では、諸葛亮軍に攻められて疑心暗鬼に陥った知事が、勝手に姜維たちを疑って逃亡した。以下引用

 建興六年(228)、諸葛亮が軍を率いてキ山に向かったとき、天水太守はたまたま巡察に出ていて、姜維のほか…(略)が随行していた。
蜀軍がいまにも殺到せんとしており、あちこちの県がこれに呼応しているという知らせが入ってくる。太守は、同行の姜維たちもみな叛意を抱いているのではないかという疑心にかられ、夜中にそっと抜け出して、上ケイに逃げ込んだ。太守がいなくなったことに気づいた姜維たちが、後を追って上ケイの城門まで駆けつけたときには、すでに城門は固く閉じられていた。姜維たちは、やむをえず冀県にもどったものの、ここでも締めだしをくらう。
かくして姜維らは、諸葛亮のもとに身を投ずることになったのである。…


もとは魏にいた姜維。
それが何故、敵軍のトップだった諸葛亮に心から従うようになったのだろうか。


敵国で生き残るためうわべだけ従ったのか?
いや、彼の後の記録を見ていると、うわべだけの忠節とは思えない。
心から忠を誓ったのでなければ、人生そのものを蜀に捧げるような、あの壮絶な生き方は出来ないはず。

二十七歳の姜維は、諸葛亮に従ったために母と永久に別れることになった。 
彼をそこまでさせたものはいったい何だったのだろう。
投降した後、彼の心に何が起きたのか。
記録では決して書かれない部分だし、想像するのも難しい。

「ただ嬉しかったのでは。諸葛亮は差別せず認めてくれた、救ってくれたのだから」
とは鋭い感覚を持つ友人の推測。(使わせて戴きました。ありがとう)
そうなのかな。そうかもしれないなあ。


以下は姜維に対する諸葛亮の評価(史実)

 諸葛亮は…蒋エンあての書簡で、こういっている。
「姜維は、当面する仕事は着実にこなし、思慮はこまやかである。その才能は、恐らく李ショウ・馬良の諸君をも凌ぐであろう。この男こそは、涼州一の人材にまちがいない」
また、こうもいっている。
「まず、中虎歩軍の兵十五、六万人の教練を行なう必要がある。姜維は、軍事にきわめて精通しており、度胸は満点、兵士の気持も深く理解している。この男は、漢室に心を寄せ、しかもその才能は常人に倍するものがある。軍事教練が終わりしだい、宮中に参内させ、主君に謁見させるよう」

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