蜀同盟

蜀の民よ、集いたまえ。~諸葛亮中心の三国志話と、現代世俗話~

「蜀同盟」とは?このブログについて  お奨め記事一覧

蜀同盟(c)吉野圭

三国志における大義論(総論)

“劉備は正義の味方” という考え方に私はいまいちピンと来ない。

「未知の告白」という記事でも書いたけれど、私の場合は漠然と『三国志』のストーリーをイメージしていた時期がなかった。(17歳まで登場人物の名を聴いた事もなかった)
だからいわゆる『演義』的な『三国志』の、
「劉備が正義」
「曹操が悪」
というイメージは持ち合わせない。

魏ファンが魏を擁護する理由としてよく言う台詞が、
「劉備は正義の旗を掲げた偽善者。曹操は悪人扱いされて可哀想!」
というものだが、この心理も私には理解不能だ。

リアルタイムで公に「正義」を掲げることが出来たのは官軍である曹操だったはず。
史書での扱いも、蜀漢の皇帝として敬意は払われているけれど、決して「正義」として認められたものではない。史書ではあくまでも、「悪」なのである。

つまり悪人扱いされて “可哀想” なのは、史実として正しく言うなら、曹操ではなくて劉備のほうだと言える。


……冷静に考えてみれば分かることだと思う。
今の人々は、『演義』が基準となっている。そしてその巨大な権威たる『演義』的なるものに挑むか迎合するか、の二元論で争っている。
しかし肝心の基準、『演義』は当時には存在しなかったことに気付かないだろうか。

ちょうどネガフィルムのように、当時の基準は今とは逆なのだ。

当時、正義を名乗ったのは曹操のほう。
抑圧された反抗者とは劉備を擁護する人々であり、人々が挑まなければならなかった巨大な権威は、
「曹操が正義」
「劉備が悪」
という基準だ。

結局、暗黙のうちに反抗者の数が増えた。
そうして、リアルタイムに劉備は“正義”となったのだが(荊州の住民が彼に従った事実が示すように)、それは劉備が先に言い出したものではない。
すなわち、劉備は正義の旗を掲げずにして、大衆から「正義」の評価を与えられた者であると言えるだろう。 
※厳密に言うなら劉備は、その後に大衆の評価に乗って、最終的に自ら「正義」の旗を掲げたわけだが。


―― 何が正義か、定義することは難しい。
人の数だけ正義の数があるのだから、一般に正義を定義することは不可能。
言葉を定義できないということは、過去の人物が「正義の人」だったか否かを結論づけるのも不可能と言えるだろう。
たとえば 「曹操がこういう善行をした、だから曹操は素晴らしい正義の人だ」 などと事実をあげて示すのも、それは一面としての事実に過ぎないのだから意味がない。
結論の出ない不毛な議論は、歴史を趣味とする人々の遊びの範囲でだけ行なわれるべきものだろう。

けれど、自分が生きている時代の正義については、早急に判断する必要がある。
少なくとも、自分がそれについて行っていいのかどうか見極める程度には。

判断する基準として考えられるのは、「正義」の裏に脅迫があるかないかだろうか。
もしその「正義」の旗が、国家や軍隊の権威 (または「自分について来なければこの世は滅亡する・お前は死ぬ」等という脅し) を根拠として掲げられたものなら、疑ってかかる必要があるだろう。

「正義」とは脅迫を必要とするものではないと私は思う。
本当に「正義」で、大義がある者は、黙って人の先頭に立つ。
そして脅迫や宣伝もなくして、大衆という権威から「正義」の評価を下賜されるものだ。


2017年10月30日 正確ではなかった表現修正

バナーはこちらです。DL・適当にリサイズしてお使いください。
f:id:yoshino-kei:20190722074012p:plain