蜀同盟

蜀の民よ、集いたまえ。~諸葛亮中心の三国志話と、現代世俗話~

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蜀同盟(c)吉野圭

文章で人を説得するには? 驚きの『出師表』使い方

こんな記事を見つけ驚いた。

※元記事URLはなくなっているようなのでアーカイブです
⇒諸葛亮孔明の出師の表から学ぶ、誰かを説得する文章のコツ

歴史人物の文を分析し、現代に応用してみよう! という発想が凄い。
一見ふざけているようだが意外と専門的な分析をされているのだと思う。
元コンサルタントさんとのことで、言語の技術知識がある方なのでは。

まずは余談で、冒頭から。

今回は諸葛亮が北伐(魏への遠征)に向かう際に、皇帝の劉禅に向けた書いたと言われている出師の表を元に、誰かを説得する際の文章について説明します。とりあえず三国志を知ってる人を前提に書いてますが、諸葛亮って誰?とか、三国志?って人は、とにかく読む人を泣かせた1800年ぐらい前の文章って覚えていただければ構いません。

太字で引用した箇所に笑う。
そうだね、まず「誰?」という人が圧倒で多いと思う。ここへ来られる99%の方がそう思っているに違いない。
一般に需要がないと知りつつ延々と奴の話を書くこのブログ。利益ないなまったく。

まあそんな愚痴はどうでもいいのだけど。

私は長年こうしてブログや小説文を書いていながら、文章技巧の学習をしたことがない。(笑 自慢げに言うことではない。申し訳ないことです。さぞ読みづらいでしょう。ちょっとは勉強して整理して書け、と自分で思う)
だからこうしてたまたま、よく把握している文について技術的な分析をしてくださっているブログに巡り合えたこと有難く思った。

もしかしたら亮の文章の癖などが読み解けるかな? などと期待して読ませていただく。

★『出師表』は、恥ずかしながら私も翻訳しています。
良かったら参考にしてください。原文・書き下しもあります。
→http://ksnovel-labo.com/blog-entry-80.html

以下、上の方の記事を眺めて勉強してみた。

文章としての流れを分析

上の方によれば、『出師表』はこのような流れとなるらしい。

まずは自分の立場を明示し、相手を巻き込む
現状の問題を説明し、相手の危機感を煽る
相手に非がないことで相手を優位に立たせる
お願いその1
周りを固めていることをアピール
失敗例で相手に了承する理由を与える
お願いその2
今の自分は相手のおかげだと謙遜
今しかないことを力説
覚悟を表明
相手に判断を委ねる
感情に訴える


……なるほど。
現実の状況を言えばかなり違うところもあるのだけど、あくまでも現代ビジネスなどに応用しようとすればこういう分析になるのかもしれない。
勉強になりますね。

おそらく諸葛亮は狙ったわけではなく完全に無意識だろうが、バランスを取ろうとする本能が
・不安を煽ったり
・こうすれば安心と提示したり
等々、二つの心理へ誘導しているように見えるのかもしれない。

現実的な補足

上の方の解説に、ちょっとだけ現実的な突っ込み。
※「」内は出師表翻訳、「」内の~は当ブログ筆者による省略

「陛下の家臣である私(わたくし)、亮(りょう)が申し上げます。」
まずは相手との関係を説明しています。この文章が誰に向けて書かれたものなのかをはっきりと文頭で明示しています。……なんだか文章の出だしからすでに考えられていますよね。

この冒頭の箇所は定型だと思うのだが、もし考えて入れたのだとすれば、
「あなたの忠実なる家臣である私、」
と太字の箇所を最も叫びたかったものだろう。

相手との関係性を説明するとか、立場表明などではなく、“忠実なる家臣”という部分が現実に疑われていたという事情がある。
つまり簒奪を噂する人々がいた。
だからこそ簒奪するつもりなどは毛頭なく、本心からあなたを敬愛し・従う者であると強く訴えたかった。
そのような裏の事情が前提としてあるので、初めて述べる意味がある。

だから現代でこの箇所を大真面目に真似してしまうと、引かれる可能性のほうが高いのではないだろうか?
「あなたの妻・夫である~が申し上げます」
などと配偶者に言えば、
「何? 今さら? こわっ!」
と怯えるだろう。
嫌味や脅迫として響きかねないので、なるべくやめたほうがいい。
(最初から元も子もない突っ込みをして申し訳ない)

「そんな中でも陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことなく、~」
相手を問題の中に引きずり込んだ上で、本人に非がないことを説明することで、相手を意識的に優位に立てます。

と言うか、まず本心から相手を優位だと思って敬愛している気持ちがあることの表れだ。
大切な遺児であり、身も心も捧げる覚悟の陛下に対し、「あなたに非はない」と言いたくなるのは当然だろう。
そもそも非難する気も毛頭ないのだから。

まず、気持ちが先になければこういう文章にはならない。
要するに気持ちが大事。

「わが国に尽くそうという志のある人々の心を広めて、むやみとその相手の人格や能力によって、昔のたとえを引用して主君と家臣の筋道をなくしてしまい、~」
今後やめてほしいこと、そしてそれによって起こり得る一般的な問題を示す

一般的問題と言うよりは、現実には既に起りつつある問題をあたかも一般論かのように述べてやんわり指摘している。
敬愛する皇帝に対してなので、やんわり一般論風に包むしかなかったわけだが。

こういった、やんわりとした指摘で相手に伝わるのかどうかは疑問。
私の経験上、やんわりした指摘では相手に全く伝わっていなかったことが多い。
最近の私の話――長期間にわたり「やんわり」指摘し続けた結果、全く効果がなかったと分かり、最終段階でガツンと露骨に言うしかなくなった。結果、「何様? 上から目線!」と怒られ縁を切られた。それでも効果が無いよりは、縁を切られたほうがいいのかも。

「私めは元々庶民の身分で、南陽という土地で自分で田畑を耕すことによって、~」
ここにきて、自分が今までそのつもりがなかったことを説明し、相手の同情を誘います。あくまでも、相手のおかげでこれまでやってこれたということをアピールすることがポイントです。

同情を誘い??
そんなつもりは本人に毛頭なかっただろう。
ただ率直なだけ。
本当に「私は元々無名な一般人、有名になるつもりなど微塵もなかった」「今日の自分があるのは全て先帝のおかげ」と思っている。正直な気持ちを何故かここで露呈している。
(最終の遺書と思って書いているので、何もかも言いたいことを詰め込んでいる)

要するに筆が滑っている。
率直過ぎて公式文書としては明らかにまずいだろう、と思う箇所。本人が後で読んだら赤面するだろうね。笑
だけど最後だから、何がなんでも先帝の素晴らしさを伝えたかったわけだ。自分ごときはたいした者ではない、全てあなたのお父様のおかげだと言いたい。それは謙遜でも何でもなく事実だと思う。(少なくとも亮は事実として書いている)

「先の帝は私めの行いが慎み深いことを知られて、それによりまして先の帝がお亡くなりになるときに、私めに国家の重大な仕事を任せられました。~」
努力を行ってきた結果、今こそが絶好のチャンスだと力説することで、この状況は二度とこないかのような錯覚を相手に与えます。

自分がこれだけやってきた努力アピール。
東洋的に言えば怒られる、非常識な発言だよな。
(全く控えめじゃない。まさにこれが太陽・獅子座らしさ)
でも現代のビジネスシーンでは確かに、このような自己アピールこそ求められる。
欧米か! と言いたくなるが、これからは東洋人も欧米的に主張していかなければ駄目だと思う。

「もしその功績が上がらなければ、私の罪をきめて、そして先の帝の御霊(みたま)に報告します。」
ここで失敗したら責任をとるということを伝えることで、相手へ本気度をアピールします。

アピールではなく、この場合は本気の本心。
私にはビジネス技術のことはよく分からないが、本気で責任を取る覚悟でなければこのような文は書くべきではない。

法律分野から言わせていただくなら、現代ではこういった文章によって現実の法的責任が重くなるので、単なる自己アピールとして軽い気持ちで書いてはならない。
依頼人がドラフト前の希望として出してきた文書にこのような文言があれば、担当の法律家は削除させる。
もちろん全責任を負うつもりなら構わないが、通常よりも重い責任を負うことを覚悟して欲しい。
諸葛亮には通常より重い責任を負う覚悟があったのでこの文章になっている。

自分で判断してくれというキラーワード
「陛下もまたご自身で調べられて、そして臣下に意見を求めて相談して正しい方向へ導き、良い言葉を聞き入れて、深く先の帝のご臨終の時のお言葉を思い出していただきたいのです。」
ここにきて、相手へのプッシュをやめ、少し引くことで最終的に相手に判断を委ねます。非常に高度なテクニックですね。

高度なテクニック???

へえ、そうなのか……。勉強になるな。

おそらく本人にテクニックを施す気は欠片もなく、本心から陛下へ対し「自分で考えて欲しい」と強く願っていたのでこの言葉が出ただけと思うが。
偶然にも「引いている」印象になっているのか。なるほど。

たぶん自己アピールしたいと見せかけて、実はそれは亮の本心ではないため――本性はプッシュのタイプではない――本音が出ると読む人に意外性を与えるのかもしれない。

押すと引く、熱いと冷たいのバランス。
対極(オポジション)を行き来する意識。
おそらくこれは亮が生来持った無意識の性質なのだが、大事なことなのかもしれない。

追加しておくと、この「自分で考えてください」は私の口癖でもあるな……。このブログでも何度書いていることか。さぞウザいと思われているだろう。
でも何よりこの「自分で考えて!」を叫び続けたい。

諸葛亮もここは計算で「引いた」わけではなくて、本気の本心だよ。むしろこの文は、この一言のためだけに書いている。出征を承認して欲しくて書いた文などではなく(表向きはそうだが)、遺書として、教育メッセージとして。
傀儡にする気は毛頭なかった。自身の意思で考え、立派に国を守るトップとなって欲しかった……、お父様のように。
伝わらないのだよね。そういう切なる願いと愛情は、当人に。
だから結論として、『出師表』が人を説得できる文なのかどうか私は疑問だ。
メッセージを宛てた本人以外の人々の心を動かしたとは言える文なのかもしれないが。
(上の方の理論を否定するような言い方で申し訳ない)

「私めは陛下の御恩を受けて感激をこらえることができません。」
そして最後は感情に訴えます。どんな相手でもこれでイチコロというわけです。どうでしょうか? 

どうなんでしょうか?
これこそアンチが最も嫌うところだとは思うが。

少なくとも本人は誰かの感動を狙ったわけではない。(と思う)
単に、書きながら現実に泣いていただけ。……痛い。

経験上、読者を本気で泣かせるのは、書いた本人が事実として裏側で泣いていた文だけだ。
『我傍に立つ』はたくさんの読者様から泣いたという感想をいただくが、それは作者本人が泣いて書いたものだからだと思う)
小説では「泣きながら書くのはタブー」と言われ、お笑いでも「自分で笑うのはタブー」と言われるのだが、実際はそうでもない。作者本人の気持ちが読者へそのままコピーされるかのように伝わることはままある。

しかし『出師表』は他でもない、誰よりも届けたかった劉禅、“陛下”へメッセージが伝わったかどうかは疑問。
もしかしたらアンチと同じく「うっとおしい」と思っただけかもしれない。
そのように想像しなければならない歴史事実は、悲しい。
大勢の人を泣かせるよりは、ただ一人、愛する人の遺児にだけ届いたほうが幸福だったはずなのに。

本来この文章は、諸葛亮の忠義の深さに感動するのですが、誰かを説得する際にも有用な文章となっております。それだけのテクニック、それだけの流れがこの文章にあるのです。

まあ、「有用」と見れば使えるところはあるのかもしれないね。

私は個人的に、「テクニックよりも気持ちが大事!!」と大声で主張したいところなのだが。

皆さん、気持ちが先にあって形になるのだということを忘れないで欲しい。
もしストレートに気持ちが伝わる文が書けたのだとすれば、それはテクニックではなく想いが強かったのだというだけだ。
出師表の欠点を述べれば、親心としての想いが強過ぎて重いしクドイ。東洋世界では、もう少し感情を抑えるのが常識かもしれない。
だがそうであっても、気持ちが大事。

「始めに言葉ありき」
ではなく、やはり
「始めに意味ありき(気持ちが先)」
なのだ。

 

例文についての感想

後半に掲げられた例文は、現代において、そのまま真似てはならない気がする。

たとえば『大きなプロジェクトを立ち上げる時』の例文。
あのままメールを送れば、
「なんだコイツ。気持ち悪い」
と引かれること請け合い。笑

でも学ぶべきところはある。
現代日本の場合もう少し訴えを控えめに、熱い想いを隠して、具体目標を示しながら提案すると良いかもしれない。
その場合、数字(データ)を示すと効果的だと思う。
自分がどれだけの業績を上げるつもりなのか、実行可能な数字で示さなければ現代では意味がない。
それが現代におけるビジネス上の誠実というものなのでは。

次に『妻に了承を得てキャバクラに行きたい時』、これはどうなのかと思う。笑

>実際にないシチュエーションで書いて行きましょう。

うん、確かに実際にはあり得ないお願い文だ。
状況も『出師表』とはかなり違う。当たり前だが。
でも設定としては面白い試みではあるよね。

>これで了承してくれる奥さんがいるのでしょうか(笑)

いないと断言します。笑
むしろ怒られると思うな。

何故に奥さんの怒りを買うのかと言うと、この場合は「おためごかし」と言って、本当は自分が良い想いをしたいだけなのに相手のためを装った言い分になっているからだ。
これでは「嘘つき。ふざけんな!」となおさら怒りを買うこと必至。

つまりこの場合も、気持ちが大事ということ。
意外と表面のテクニックよりも先に本心が伝わるものだ。(読む人が正常な思考能力を持つ相手なら)
だから厳密な意味での、テクニックだけの名文などこの世にないのだと思う。

【余談】2018/11/1

読者様からの通報で知る。
また『はじめての三国志』の適当ライター、よかミカンさんが
「『出師表』なんてまったく泣けない。泣きどころが分かんない。パワハラなだけ」
「三顧の礼エピソードは諸葛亮が自分を飾るために盛った嘘の話」 
等々と悪口を書いていたらしい。
※三顧礼が諸葛亮自身がついた嘘という話:何故そんな具体的な嘘をつかねばならないのか、意味が分からない。→三顧礼の真相はこちら

アクセス数の高い情報サイトで、自分個人の好き嫌いだけで感情的な悪口を書き連ねるのは本当にどうかと思います。
これから国際化で中国の方も記事を読むと思うので、同じ日本人としてあのような知性のない文が掲げられていることを本当に恥ずかしく感じます。

ただ個人としては、「そういう人もいるのでは?」と思ってください。
よかミカンさんは、かなり諸葛亮嫌いの偏ったライター故に認知の歪みもあるのでしょう。きっとフィクションの洗脳が強いのです。
たいていの人は、『演義』しか知らなければこの人のように歪んでしまうのではと思います。
ここへ来られる方が心底から『出師表』へ共鳴するのは、『我傍』を読んだ後だからということもあるはずです。歴史はフィクションによって異なったイメージが刷り込まれてしまう点、難しいですよね。

例、『我傍』のみ読まれた方の『出師表』ご感想

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〔2018/10/27筆〕

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