蜀同盟

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蜀同盟(c)吉野圭

「蒼天すでに死す」の意味とは? 蒼を漢王朝と訳すのは間違い

『蒼天すでに死す』で検索するとGoogleトップにこんな結果が出るのだが……、

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『実用日本語表現辞典』さん、間違っていますよ。

他記事でもこの話に触れたが、曖昧な雑談だったので改めて書いておきます。

2018/11/9敬体で統一しました

 

「蒼は漢王朝ではない」と言う理由が分かる、五行の基礎知識


誤りの箇所、引用。赤字は筆者による。

「蒼天」とは漢王朝のことで(× 完全なる誤り)、張角は「蒼天已死」、すなわち「漢王朝は死んだ」(× 誤り)と唱えた。その一方で、自らの太平道を「黄天」と称し、「黄天當立」、すなわち「太平道が今こそ立ち上がるべし」(△ 微妙。“今まさに立った”同時点を表す)と唱えた。「蒼」と「黄」の由来については諸説あるが、五行思想に基づいたものとも言われる。
Weblio、『実用日本語表現辞典』

まず、『蒼(青色)』は漢王朝のことではないでしょう。
下の五行図を見て欲しいのだけど、青を倒すための革命で、黄色を象徴的に使うのはどう考えてもおかしいです。
漢王朝が青だとしたら、黄色を使った時点で「自分たちは始めから剋される(潰される)運命だ!」と叫んでいることになってしまいます。そんな革命がありますか?

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もともとこの「蒼天すでに死す」について、「蒼とは漢王朝のこと。黄色は青を剋す色だから革命に使った」と解釈する話は、日本で執筆していた作家が小説でそう書いたことから広まりました。(日本で)
日本で生まれ育った彼は、たぶん五行についてよくご存じなかったか、知っていたがその時だけうっかりミスで勘違いなさったのだと思います。
ところが今でもその勘違いを歴史マニアは鵜呑みにしています。日本の歴史ファンは史実を調べず、フィクションを事実だと本気で思い込むという典型事例。

それだけならまだしも、間違いを指摘された人たちが今度は
「蒼天は青空のこと。つまり、“今は青空も見えない暗い時代”の意味。黄色は“めでたい色”だから使った。五行なんかまったく関係ない」
などという説を強く主張し始めています。……張角は道教系の宗教団体の教祖なのだから、「五行なんかまったく関係ない」と言うこと自体、筋が通らないと思いますが。

あと付け加えておくと、当時の中国において「五行と関係がないシンボルカラー」を革命で掲げることはあり得ません。
もし本当に「張角を教祖とする団体は五行と全く関係がなく、五行に関係のないシンボルカラーを掲げた」のだとしても、周りが勝手に五行を連想するので無意味。仮に「漢王朝が青」だったとすると、黄色の布を巻いた集団が革命を起こせば民衆に「こいつら漢に剋される色を掲げている」と揶揄され、「バカなのか?」と嘲笑されるだけ。「革命のシンボルカラーなんて何でもいい」と思うのは、無知な現代日本人の勝手な空想です。

始めから詳しい知識がないのは当たり前。誰だってそう。
その時だけ逆転して書いてしまうようなうっかりミスも、占いに詳しい人間でさえよくあること(私も夜中に書いた文には自分でも驚いてしまうミスがある。申し訳ない)。
人間誰でも知識は完璧ではないしミスもある。でも永久に史実を調べず、フィクションを事実と信奉し続ける怠惰さはどうかと思います。
まして間違いを指摘されても謝りたくないので、新たな説を主張して正当化しようとする態度は何なのでしょうか。
こんなことを続けていると「民度が低い」と言われてしまう恐れがあります。どうか改めて欲しい。


【2019/5/6追記】「黄色は五行とは関係ない。儒教を滅ぼすために掲げた色だ」と筋の通らない説を撒き散らしているのは、やはり現代日本の左派であるらしい。
NHK http://textview.jp/post/culture/28996より

従来の説では、黄と蒼の色に注目して五行説にひきつけて理解することが多いのですが、五行説の順番では赤の次が黄色ですから、「蒼(青)天」と「黄天」の対句の関係が、うまく説明できません。私は「黄天」が中黄太乙のことを指していると考えました。中黄太乙とは、後漢が儒教を国教化する前、黄老思想に基づいて、前漢第五代の 武帝(在位前141〜前87)らが崇拝していた太一(太乙)神という宇宙神のことです。黄老思想とは、漢民族全体の始祖とされる黄帝と、道家の祖とされる老子を結びつけた思想です。つまり黄巾は、儒教以前の黄老思想をその中核に置いていました。

それでは、「黄天」と対句となる「蒼天」とは何か。儒教では天そのものを神格化しており、これを昊天上帝と呼びます。この神は地上を見ていて天地の政治が悪いと災害を下したり、また褒める場合には麒麟などの瑞獣を出現させたりするような主宰神でした。その昊天上帝のことを、儒教の経典の一つである『詩経』では「蒼天」と表現しているのです。

こうして見ると、黄巾のスローガンはより明確になります。つまり、儒教と、儒教を政治の中核に置いた後漢は死んだ。これからは黄老の世が始まるのだ──と主張しているわけです。

儒教を敵対視する思想丸出し。(道教革命については最初から歴史に存在しなかったということにして潰したいらしい/何故なら近年、道教系の団体がCK打倒を掲げて暴動を起こしているから)
こじつけもいいところで笑ってしまいます。

>五行説の順番では赤の次が黄色ですから、「蒼(青)天」と「黄天」の対句の関係が、うまく説明できません。

このように仰るとは、気の毒に、相生思想(後述)をご存知ないのですね。

どうも左派は日本の知的弱者を騙して、今さらの反儒教革命(K産主義革命のこと)を日本で成し遂げたいという願望を抱いているようです。
皆さん騙されないようにしてください。

『蒼天すでに死す』の正しい翻訳

おそらくこれが正解だと思うが、漢王朝は「赤」です。
「黄」は、赤の次を表します。
つまり、
『蒼天已死 黄天當立』
とは
黄を剋す青はもういない(蒼天すでに死す)。だから黄を掲げる我々の天下だ。今ここに、漢王朝の次の政権である黄が立ったよ! 皆さんお待たせっ!」と言っています。

「蒼天すでに死す」の「青」は漢の前の王朝のことです。
何故、直接に「赤は死んだ」と言わないかというと、184年当時にはまだ赤は倒れていなかったから。
それに前と後を言えばその間は分かります。
中国ではこのような場合、昔から物事を直接に表現しないはず。自身の命を守るため、または洒落もあって、暗号を使って示唆します。
現代でも一般民衆はこの習慣を受け継いでいて、ネット書き込みなどでは大いに遠回し表現を駆使しているようです。
(そうしないと現代ではネットから消されるし、速攻で殺されるからでもありますが)

ちなみに、漢王朝の「赤」を剋すなら水の「黒」モチーフを用いたほうが、より強い攻撃の意味となります。
そうしなかったのはどうやら、相剋(上図の五芒星に見える直線)ではなく相生(周りの円)で表すのが前漢以降の流行だったからであるようです。※下の引用参考
「次の政権」として長く続けていきたいと思えば、相生を使うのが確かに理にかないます。

現代で蘇る「黒巾乱」


現代へ話を持ってくると、たまたま偶然にもウイグルが黒旗を掲げてテロを行っています。
これを見て私は背筋が寒くなります。

現代の「赤」「黒」こそ、五行とは無関係。
共産の赤はヨーロッパで生まれたシンボルだし、テロの黒もイスラム教を表すシンボルカラー。
だけど偶然にしては……ね。
やはりまた、漢民族流の伝統で暗号表現なのかもしれないと思ったりするが、どうなのでしょうか。

それにしても、黒はISのせいで世界的にイメージが最悪になってしまいました。
現代で剋の革命を起こすには、少々使い勝手が悪いカラー。

参考

※過去に書いた記事より、参考となる話を転載しておきます

私の以前からの認識としては、漢王朝のシンボルカラーは赤すなわち「火」であり、それを倒すというよりも次に生じる当然の王朝として「土」たる黄の旗を掲げたのではなかったか、と思っておりました。
しかしこれは単なる私個人の感覚でしかなく、漢が「火」ということもきちんと調べた結果ではなかったことに後で気付きました。
さらに昨今、三国志マニアのほとんどが「漢王朝は木だ、青だ」と主張しているので、私もだんだん自信がなくなってきました(笑)。
そこで検索したところ、こちらのページを見つけました。
http://m-mikio.world.coocan.jp/gogyou.html

以下引用です。

前漢末の劉音欠(りゅうきん。「きん」は「音」に「欠」)はこれに対して、「五行相生(そうしょう・そうじょう)」説に基づく新しい説を唱えた。木を擦り合っていると火が生じ、火が燃えたあとには灰(土)が生じ、土が集まって山となり金属を産出し、金は腐食して水に帰り(冷たい金属の表面に水滴が生まれる、金脈は近くに水脈を生む、という説もあり)、水は木を生長させる、という具合に木→火→土→金→水 (もっかどごんすい) →木の順に相手を強める影響をもたらすという関係がそれまでに言われていた。ある王朝は他の勢力を成長させやがてとって替わられるという。そして夏(金)、殷(水)、周(木)とし、秦は圧制のため正当な王朝とはみなさず、漢王朝は土徳ではなく火徳であるとした。漢の始祖劉邦が「赤帝(せきてい。伝説上の王、神皇=炎帝。黄帝と協力して漢民族を興したという)の子」と称していたことと符合させるためだと思われる。

この理論がこの後継続して用いられ、王朝のシンボルカラーとされたり、年号に「金」「黄」などが付けられたりした。また、前漢を滅ぼした新に対し漢の復活を求めた運動が「赤眉の乱」、後漢打倒を図った運動が「黄巾の乱」と名のったのもこの思想からである。


おお。完全に私の認識が当たっていましたね。
「黄巾乱」が、相剋ではなく相生という新興思想から来た革命なのだというところまで正解です。
漢代以降の何代かは相生ブームだったわけですね。
既にこの認識にて解説してしまったページがありましたので、今ほっと胸を撫で下ろしております。

(しかし今まできちんと調べたことがなかったこと自体に、気付かなかったのは我ながら驚きです。何故か自分で思い込んでしまっていて、それが当たっていたという幸運)

*2018/5/26 リライト、引用文を加筆

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