蜀同盟

蜀の民よ、集いたまえ。~諸葛亮中心の三国志話と、現代世俗話~

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蜀同盟(c)吉野圭

本に囲まれ、崩れた本で圧死したい(理想の老後と死に方)

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今週のお題「理想の老後」

 

険悪な話が続いて疲れたので【お題】へ乗ってみる。

 

私の「理想の老後」は――

本に囲まれて毎日ひたすら読書して過ごし、最期は崩れた本で圧死したい。

というもの。※

 

え?

そうです、私は本好きの変態です。笑

書かなくてもご存知か。

(最近はあまりじっくり小説などを読む時間もないためレビューを書けていないが、くだらない社会関連の本なら読み散らかしています。レビューを書くほどの価値もない本です。それでも文字に触れられるなら幸せと思う変態)

 

※具体的なイメージ: 可能なら海に近い小山の家にて。

庭の緑が見える開放的な窓がある書斎、部屋の両側に造り付けた本棚にはぎっしり本が詰まっている。孤独な老人となった私はその書斎で毎日本を読んでいたが、あるとき地震が起きて本が崩れ、圧死する。

なんという幸福な老後、本望の最期。

 

この理想を抱くに至った経緯

幼い頃から本が好きだった。文字を目にしている時は何よりも幸せだった。

かと言って人目を気にせず思う存分に本を貪り読むことが可能、という状況にはなかったので、なおさら読書欲は根深くなった。

 

若気の至りで「死にたい」と思った時も、

「まだ読んでいない本がある……あと一日生きる時間を延ばそう」と考え踏みとどまった。おかげで気持ちの変化を体験し、生きながらえることができた。

 

今も

「何のために生きているんだ自分」

などと難しいことを考えそうになった際には、

「とにかくただ本を読む時間を稼ぐ。それだけのために一日でも多く生きよう」

と思うと悩みが消えて明日が来るのを歓迎できるようになる。

くだらない……と思われるかもしれないが、案外とくだらない欲求のほうが生存の力となる。

 

社会のため、国家のため生きねば!

などと大仰なことを考えている人は早く死にますよ。まじで。

(たとえば晩年の諸葛亮がそうだったように)

 

何故なのかと言うと、たぶんシンプルでくだらない欲求のほうが肉体に近いからではないかと思う。

「社会のため、国家のため」云々は精神に属する話なのだろう。

 

地上の肉体へ魂を縛り付けるには、すなわち生存していくにはシンプルな欲求のほうが強い。

欲求とは、たとえば食欲でも構わない。

死ぬか生きるかギリギリのところで、「あれを食べるまで死ねるか!」と思うことが意外と生還の切り札となる。

 

私はあまり食欲や性欲などがないタイプで、最も肉体に近いシンプルな欲求というものが

「本を読みたい」

であるらしい。

 

もちろん、大好きな人の顔をいつまでも見ていたいとか、いつまでも手を握っていたいという感情も強くある。そのほうが地上にいる理由としては強い。

ただし好きな人が地上を去り、独りぼっちになったことを想定しての「老後」であれば、最も肉体に近い欲求として残るのは自分の場合

「本を読みたい」

になるだろう。

 

だから私は自分が独りぼっちになった老後をイメージするとき、ひたすら好きな本を読んでいるだけの日々を思い浮かべる。

 

“理想の老後”と言うよりは、それしか思い浮かばない老後の光景だ。

 

そしてそんな日々はいつまでもきりがなくなってしまいそうだから、最期は自分で読み漁った本に潰されて区切りをつけたい。

愛する本に潰されて死ぬなら本望だ。

 

後記

自分も電子書籍を読むようになっている昨今、もはや紙本に潰されるという「理想の老後」は夢物語なのかもしれないが。あくまでも理想。

 

それより最近は世界がキナ臭くなり、来年ものんびり読書が許されるか分からない状況となってきた。

読書ができる平和は有難い。

いつまでも、好きな本を読み散らかし自由に放言が吐けるような平和が続けば良いのにと願う。

 

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