蜀同盟

蜀の民よ、集いたまえ。~諸葛亮中心の三国志話と、現代世俗話~

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蜀同盟(c)吉野圭

今生きている人は皆がサバイバー。生きる意味を探すより生を肯定して歩こう

今週のお題「人生最大の危機」に乗って書いてみます。

2019/8/22追記あり

 

私にとっての危機は十代の頃

自分の人生で最大の危機はいつだったのかと考えてみると、やはり前も書いたように思春期の頃だったと思う。

インポスター症候群で危うく死ぬところだった。

平和な国で特に大きな病気をすることもなく育ったのに、自分で自分を殺しかけていたという。

 

再掲:

rtk3alliance.kslabo.work

あの後は自殺を考えることなどあまりなかったが、ストーカーに追われるなどで命の危機を感じることは時々あったな。

私は劉備様からのストーキングならいつでも歓迎だが、求めに応じないと脅迫してくるような相手は僅かな交流も全力でお断りする。当たり前である。

 

あれこれ振り返ってみると、意外と今日まで生きて来られたのは奇跡だったのかもしれないと思ってしまう。若い時を無事に過ごし生き延びられたことに感謝する。

 

よく「青春(思春期)はサバイバル」などと言われるが本当だ。

人間が生まれてくるのも奇跡だが、ここ地上で大人になるまで無事に育つには数々の障壁を乗り越えなければならない。大げさではなく生き残るのは奇跡なのだと思う。

戦乱や飢饉のある国・時代に生まれたら当然のこと。

現代日本のような平和な国に生まれたとしても、事件や事故・災害など不可抗力で命を落とす子供は大勢いる。

またここ日本は自殺者が一時期年3万人を超えていた自殺大国。

去年は20840人(うち30歳未満2751人)で減ったというが、まだまだ驚くほど多い。

 

資料 警視庁Webサイトより

f:id:yoshino-kei:20190811151429p:plain

さらに言えば、大人になっても生き残りのためのサバイバルは日々続いていく。

大病、事件、事故、災害……。

今日この時に生きている人は、それらを潜り抜けたか回避してきたサバイバーと言える。

だから今を大切に、せめて自分で命を放り出す自殺だけは踏みとどまって欲しいなと願う。

(私は安楽死に絶対反対で延命治療を推進する者ではないので誤解しないでください。延命治療を断るのは自殺とは違う)

 

生きる意味を探すだけでは永遠に見つからない

さて、ではサバイバーさんたち(自分も含め)がこれからも自殺せず寿命まで生きていくために、必要なことは何だろう?

 

自己肯定は基本。

その先に必要なものは。

 

先日もこちらの記事を読み、考えていた。

plagmaticjam.hatenablog.com

所々頷く。

この国は「外部条件的には生きやすくなっている」と言える。生きづらいと言っている人たちもその恩恵は享受しているはずだ。それでも生きづらいというには何か別のもっと抽象的な理由があるはずだ。

 

昔の土着的な差別や偏見、または戦争などによる生きづらさと現在僕達が暮らす社会における生きづらさは全く別のものになっている。

昔は自由がなかった。自由に同性を愛することもできなければ自由に結婚相手を決めることもできず生き方が固定化されていて生きづらいと感じている人が多かったのだろう。今はそんなことはない。個別ケースで見れば前時代的な環境にある人もいるだろうけれど昔ほど他者の生き方に口を出す人は少なくなった。自由で、個人が尊重されるようになっていってる。

 

 しかしそれこそが問題として噴き出してきている。今、僕達に起きているのは自由な個人でいるゆえの問題ばかりだ。

 

仰る通り。外国に比べれば日本は確かに生存しやすい。

完全に差別はなくなったわけでもなく、完全に生きやすい社会というわけでもないが、少なくとも戦乱に怯える必要はない。

太平洋戦争時代の人から見れば、今の日本人がどうして「生きづらい」と言っているのか理解できないだろう。

 

しかし戦時の若者は志で迷うことはない。

目標はあらかじめ設定されていて「やるべきこと」は決まっている。生きること、家族を守ること、そのために戦うこと。

平和な時代に生きる我々の目から見て不幸に思えるその不自由さは、人間の精神状態としては健全さを保つ力となっていたかもしれない。明日にでも死ぬと思っている若者が、わざわざ自分で死を選ぶ必要もない。(上官からの命令による自死を除く)

 

私は間違っても

「戦争の時代のほうが人間は幸福」

などと言うつもりはない。

でも平和な国でただ生かされているだけの状態が、必ずしも「幸福」とは言えないことは確かだ。

だから日本では

「戦争のない日本に生まれたのに悩むなんて、甘えるな!」

と他人の悩みを嘲笑して心を踏みつぶす人たちが、たくさんの人を自殺へ追いやる状況となっている。

 

再び上記事から引用、

 

そうして人の物語はなくなっていく。物語がなければ生きる意味もなくなる。

 

本当にそうだ。

物語のなさ、現代日本の虚しさの原因はこの一言に尽きる。

 

ただ他人から権利を侵害され、それに反抗することだけが「物語」ではないと私は思うのだが……。

確かに強い敵がいれば物語は盛り上がる――『三国志』もそうであるように――が、なにもそのような王道ストーリーだけを求める必要はない。

 

 

おそらく、今の日本人の不幸は「自由を手にしたこと」ではなくて

「生きる意味を考えなければならない状況」

にある。

要するに暇なのだとも言える。

(これを格好よく言えば「志がない」になる)

 

「生きる意味」などいくら考えていても永遠に見つかることはないだろう。

 

確かに与えられた設定(物語)は無いのだが、自分から探していく道は残されている。

 

たった今生きている自分がサバイバーであることを自覚し、生きている時間そのものを肯定して歩いて行く。つまり行動する。

それ以外に「意味がない毎日」という泥沼を抜け出す方法はない。

 

私はこれからも命ある限り行動していこうと思っている。

またあの泥沼にはまらないように。

「行動」とは、そんなに大げさなものではなくて読書だったりブログを書いたりすることも含まれるが、これすら死んだらできないことを考えれば有難くてたまらない。

今は僅かとなった残り時間に感謝しつつ、できることを続けていきたい。

 

 

〔コメント返信〕

ブクマ・コメントありがとうございました。

本来は返信しないものでしょうが、文脈を誤解されているなと思われるコメントのみ返信致します。政治的ミスリードを避けるために。

id:myogab
既に精神論で済まない者も多いと思うけど。不安定な労働環境において、また高額な居住費によって、職の喪失は居住の喪失に直結してる。幾ら他人と比較せず自己肯定感を持とうが、職という他者承認が無きゃ生きられぬ

myogabさん、仰る通りですね。私も貧困層出身で今も完全に安心とは言えない生活をしていますので共感します。日本社会の格差が深刻であることは事実。

しかしそれはまた別の話、社会政策への問題提起では? 

この記事はリンク先の記事に共鳴する形で、「満たされた後」の精神論について書いたものです。

経済的に満たされていても自己肯定感を喪失している人は現実に大勢います。そういう悩みを「甘え」と嘲笑し踏みつけにしてはいけない、という話です。

「経済が豊かにさえなれば全員が幸福になる」「満たされているのに悩む奴は甘え」と決めつけられることで苦しくなる人もいるのです。リンク先の記事の方は、そちら側の人にスポットを当てたのでしょう。

 

id:fujiriko59

ネトウヨみたいなものは、こういう話だと思う。友と敵との間に線を引き物語を作る。ヘイトも困るが、代わりの選択肢が絶望しかないのでは、とても困った状況。

fujiriko59さん、コメントされる記事を間違われたのかな?と思ったのですが、当記事を読まれてのコメントでしょうか?

ただ戦争の話を出しただけで「ネトウヨ」と認定されるなら困ります。また、この記事では代わりの選択肢として「絶望」を提示してはいないのですが…。

単語の反射によるウヨサヨの二元分けが私は苦手なのでご遠慮いただきたいです。

 

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