蜀同盟

蜀の民よ、集いたまえ。~諸葛亮中心の三国志話と、現代世俗話~

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報われるって、何だろう? ブリタニカの「諸葛亮」解説に悩む

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コトバンクで引用されていたブリタニカ「諸葛亮」解説が興味深かった。

コトバンクで「諸葛亮」をクリックし、目についた文。

>報われることの少なかった生涯に対する同情が,民衆のなかで彼を超人的な兵略家として語り継がせることとなり

ほ、ほう… 😅

違うと思う。同情は日本だけ。中国には同情文化があまりない。
リアルタイムで民に壮絶人気だっただけ。

— 蜀同盟@吉野圭 (@kei20152) September 20, 2019

 ※ブリタニカ引用文は当記事下へ掲載

 

「報われなかった」とは心外 意外なお言葉だなあ。
あれほど報われた人生は東西の人類歴史を眺めてもめずらしいと思うが。

 

諸葛亮は君主に恵まれ、若い時から死ぬまで絶大な信愛を受けた。

君主自身が全力でプロデュースして押し上げ、人気と権力を得てからも粛清されるどころか疎まれることも無かったという。……このようなことは史上稀に見るどころか、ほとんどファンタジー。

(ファンタジーのようだが渡邉義浩らが「虚構」と言うのは嘘で、きちんと記録文にも残る史実である)


民からは生きている間も死後も実力を遥かに超えて評価された。
評価以上に、人々から信じがたいほどの「愛」を受けた。純粋なる評価と人気。神として崇めるだけではなく、少し下に見たキャラいじり(笑)もある。それは確かに対等な人間同士の「愛」と呼べると思う。
本人は褒められ過ぎたプレッシャーに潰れたのだとしても、引きで見ればあのような評価を得た人生は奇跡だと言える。

 

さらに生涯を通して諸葛亮自身は牧歌的な境遇に恵まれていたとも言えるだろう。

残虐な混乱の時代において彼一人、不条理な民衆虐殺からも、粛清からも遠ざけられていた。

もちろん謀略など様々にアンチからの攻撃を受けていたものの。アンチは彼の体にも心にも魂にも傷一つ負わせることができなかった。

何故か。

それは劉親子の偉大な信愛に守られたからだし、民に愛されたからだった。

 

※何度でも書くが、渡邉義浩や柿沼陽平らの主張、「諸葛亮は生きている間はまったくの無名で死後に名士から評価されて初めて有名になり人気を得た。恐怖政治を敷いたので民衆の間では嫌われていた、民は恐怖に怯えていたから諸葛亮を評価するふりをした」と言うのは完全なる作り話。まず無名な者が一国の丞相となり総司令官となることは有り得ないし、敗残の将が千年以上も恐怖政治を実現して虚構の評価を得ることは絶対不可能だ。

恐怖政治を敷いても、民へ作り話を押し付ければ千年の人気が得られると思っているのは共産主義者だけ。今のまま「嘘がまかり通る」と信じる共産主義者の夢は決して叶わないから諦めろ

現実の諸葛亮は政治談議好きな「名士(知識人)」には評価されることも批判されることも同等にあった。彼を手放しで愛したのは記録に残らない一般大衆のほう

 

諸葛亮ほど恵まれ報われた者は人類史上めずらしいように思う。

それなのに「報われなかった」と本人が言うのだとすればバチが当たる。

 

亮は自分が「報われなかった」とは思わなかったはず

ブリタニカさんはおそらく北伐が達成できなかったことを指して「報われなかった」と仰るのだろう。一般的な見方としては正しいのかもしれない。

しかし実は諸葛亮本人がそう思っていたか疑問だ。

 

『演義』フィクションでは諸葛亮が北伐で

「天は我を見捨てたもうか!」

と叫ぶシーンがあるらしい。

誤解もいいところではないかと思う。本人はきっとそんな怨嗟を天に向けて叫んだことはなかっただろう。(足を引っ張る蜀内のアンチには怨嗟を叫んだかもしれないが)

現にどう見ても「天に見捨てられ」てはいないのだし。

 

繰り返すが、恵まれ過ぎた人生のなかでたった一点、最後に結果を出せなかったからと言って諸葛亮が

「自分の人生は報われなかった」

などと思っていたとすれば天罰が降る。

 

現実に「報われない」人生の見本

たとえば一生懸命に努力して身に着けた能力が何の役にも立たなかった、収入にもつながらないし誰にも求められることがない、という状況が「報われない」と言えるのではないだろうか。と、これは私のことだが(笑)。

 

私は生まれ持った能力を活かす機会が無かった。

「相対的貧困」ではなく「絶対的貧困」の育ち。能力を活かすどころか飢え死にしてもおかしくない境遇、人並の学校すら行けなかった。貧乏をはねのけ、独学で身に着けた技能すら学歴がないために直接の収入につながらなかったという。

日本社会から見捨てられた人生。

――こういう状況こそ「報われない」と言う言葉の正しい使い所ですよ、ブリタニカさん。

 

だから私は今、諸葛亮の人生が少し羨ましい。

(前田敦子さんに同意。笑)

「多忙なときの自分が少し羨ましい」

前田敦子、AKB48時代の仕事について語る

www.oricon.co.jp

 

ただ見方を変えれば、私の人生は平和だったため「恵まれていた」「報われていた」とも言える。

死ぬほど多忙で実際に過労死してしまった諸葛亮の人生に比べれば、余暇ある生活を送る自分のほうが恵まれているような気もしてくる。

 

現に私は今、平和を生きることができたこの人生を振り返って感謝している。現代で「当たり前」と呼ばれる、ゲームやアニメなどに触れることができた子供時代。「ごく普通」の友達を得て恋愛もした青春時代がとても幸福だった。

確かにこの人生は恵みと言えた。本当に報われるとはこういう「普通」を味わうことだったのか、と今さら実感している。

(人類の歴史において、今の日本の「普通」はとうてい「普通」ではない。殿様・貴族様以上の恵まれた生活だ)

 

こう考えてくれば「報われる」とはいったい何なのだろうな、と思う。

 

 

「報われる」とは何だろう

他者からの評価が絶大に高いことが「報われる」ということなのか?

それとも、完全無名であっても平和で穏やかに過ごした人生が「報われる」ということなのか……。

 

本人目線で考えるなら結局、自分の人生の受け止め方――つまり心の持ちようで変わると思う。

 

どのような人生でも感謝できる見方があるはず。

高い視点で見れば誰もが報われたと感じられる機会は必ずある。

 

だから他人が、「あの人は報われなかった」などと決めつけるものではない。

 

 

 

引用文

諸葛亮(しょかつりょう)とは - コトバンク

より引用

諸葛亮(読み)しょかつりょう(英語表記)Zhu-ge Liang; Chu-ko Liang


ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
諸葛亮
しょかつりょう
Zhu-ge Liang; Chu-ko Liang
[生]光和4(181)
[没]建興12(234)
中国,三国時代の蜀漢の政治家,戦略家。字は孔明。諡は忠武。琅邪陽都 (山東省沂水県) の人。豪族の出だが,早く父と死別し荊州 (湖北省) で成人。名声が高く,臥竜と称せられた。建安 12 (207) 年魏の曹操に追われ荊州に身を寄せていた劉備から「三顧の礼」をもって迎えられ,天下三分の計を説いてこれに仕えた。翌年,呉の孫権と連合し,南下する曹操の軍を迎撃して,赤壁の戦いで大破し,荊州,益州を劉備の手に入れさせた。その後もしばしば戦功をあげ,章武1 (221) 年漢の滅亡を機に劉備が帝位を称すると,その宰相となった。翌々年劉備が死ぬと,愚昧な後主劉禅を助け,再び呉と結んで魏と抗争し,生産を奨励して民治をはかり,雲南に進出して開発をはかるなど,蜀の経営に努力したが,魏との国力差はいかんともできず,国勢非なるうちに,魏の将軍司馬懿 (しばい) と五丈原 (陝西省び県) で対陣中病没した。魏と再度戦うべく出陣する際に奉った『出師表 (すいしのひょう) 』『後出師表』は,千古の名文とされ,これを読んで泣かざるものは人にあらず,とまでいわれた。報われることの少なかった生涯に対する同情が,民衆のなかで彼を超人的な兵略家として語り継がせることとなり,その伝説の結晶が『三国志演義』における諸葛孔明である。

 

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について

 

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