『後出師表』は誰が書いたのか、2020年分析

 『出師表』前後について雑談。

『前・出師表』、日本語訳が一掃されてしまった

 この間、『出師表』のテキスト診断で訳文による差異をサンバーストで詳しく見ようと思い、自分以外の翻訳文を探していた。

ところが……

なんと全文の日本語訳がネットから一掃されてしまっていた。
『十八史略』の途中までの文・おふざけで書いた適当な文・恥三の悪口偽造文。等々しかない。
これらふざけた文、内容を書き換えた文では当然ながら診断できない

結局、まともに翻訳した日本語ページは私の文しか無くなってしまったらしい。
  筆者訳 『出師表』

これは自慢ではなく。
単純に困ったし、驚いたなという話。
ブログサービスの終了があったりYouTubeの台頭など色々あって、消えていってしまわれたらしい。時代は変わっていくな。

そう言えば最近うちのブログで検索アクセス二位を誇っているのが『出師表』だった。不思議に思っていたけど、なるほどこういうわけか。

上ブログは全くジャンル違い。
あのブログに置いておくのは本当にどうかと思っていて悩みの種なのだけど、検索での評価が上がってしまったために動かすに動かせなくなってしまった。
来訪される方は歴史ジャンルではないブログの異様な雰囲気に驚かれることだろう。……誠にすみません。


後出師表の鋭い分析


こちらは上の件で検索していて、たまたま見つけた記事。
『後出師表』の贋作説について細かく分析してらっしゃるのだが、世に溢れる一般的な解釈と大きく異なっていたので面白かった。

『「後出師の表」こそ泣ける!でも諸葛亮らしくない…偽作?』
 https://abiru3594.hateblo.jp/entry/three-kingdoms16

 要約すると、
  • 諸葛亮は朴訥で、修辞のない簡素な文を書く人
  • 『出師表』や『正義』 では強気でずばっと主張するイメージ。それに比べて『後出師表』はセンチメンタルだから違う
 ということらしい。

そうですね、私も『後出師表』は贋作で間違いないと思いますよ。
理由はこの方と違うが。

『後出師表』は贋作か否か?

私もプライベートのほうで考えを書いたことがあるのだけど、鍵付きだったので改めて公開向けに書いておく。

私が思うに『後出師表』で明かされる呟きのほうが、どちらかといえば諸葛亮らしい。
歴史家たちが亮の行動や普段の態度を照らし、“いかにも彼らしい”として人格一致を感じるのが
「臣の才弱く」
「死して後已む」
という表現であるらしいが、確かに正論と思う。

おそらくこれらは本人の日頃からの口癖
つまり亮がオフレコだと思って日常的に呟いていた台詞を、彼に近い部下が記憶していて、亮の死後あの文書を偽造したのだと思われる。

基本的に諸葛亮はプライベートでは物凄く自己評価が低いし、弱気な人間だった。特に趙雲が亡くなった頃は弱気の極み。
亮の自己評価が低いことは、たとえば主簿の楊顒に叱られて謝った等のエピソードで客観的に裏付けられるのではないだろうか?
また戦闘の慎重さは臆病な性格が基本としてある故に。
(現代性格分析などから考えるなら…たぶんブレイクスルーのために枠をはずして考えることは可能なタイプで、大胆さも持ち合わせていたと思う。だが人の命が懸かった場面ではギャンブルを自分に許さない)

それでも『後出師表』が贋作だと私が思うのは、「時期を誤る」などの決定的なミスとともに、以下の理由から。

『出師表』などが強気に見える?のは公のための文だから


 上の方のご意見では

 諸葛亮の「せい」や「出師の表」が勝つことしか考えていない力強い文章(※)であるのに対し、「後出師の表」は勝てるかどうかはわからんという弱気な文章である

ということであるらしい。
それはまあ、その通り。
『出師表』は出陣前の公に対する文だから強気に表現するのが当然だろう。
世間一般の評価として、あまり『出師表』を「力強い」と言っている人はいないし、私は弱気なほうと思っていた。ところがAIテキスト診断によれば主張がはっきりしていてリーダーシップがあるとのこと。意外だった。

【参考】
 引き籠もりの諸葛亮、AIは意外に「リーダーシップ有」と診断する

 私の才は弱く敵は強い。のっけから弱気ですね。
二度目の遠征を興すにあたり、キミこのあいだ勝てなかったのにまたやるのかい、本当に勝てるのかい? という声を封じるための論でしょう。
勝てるかどうかはともかく、やってもやらなくても終わっちまうんだったら今やるしかないでしょうがぁ! と言いたいのだと思います。

そう、公式文書でこんな弱気な内心を述べてはならない。たとえオフレコで常々弱気な台詞を口にしていたのだとしても、出征前の文で公開することはありえない。
何よりトップが公式にこんな弱気発言をしたら、命懸けでついて来る兵士たちに失礼でしょうが
あと、言い訳っぽく理屈っぽい。出兵は決まっていたのだから、こんなクドクドと説得する必要は全くない。
こういうところに文章を書いた者の若さを感じる。
兵法を論じて諸葛亮を庇いたかったのだろうなあ、と思う。気持ちはわかるが、設定ミスだな。

 ……この部分、「出師の表」とかぶっていますね。
「出師の表」では、自分はもとは南陽なんようで畑を耕しており乱世に命を全うできればいいと思っていたが、先帝の恩顧を受け、「受命以來,夙夜憂歎(命を受けて以来、昼も夜も思い悩み)」「五月渡瀘,深入不毛(五月に瀘江を渡り、深く不毛の地に入り)」とあります。
「五月渡瀘,深入不毛」という部分は「出師の表」と「後出師の表」とで丸かぶりですが、二度目の遠征前の表文で以前の表文をそこまで完璧にコピペしますかね。こういうところも偽作っぽいんですよね。ブツブツ。

> 完璧にコピペしますかね。こういうところも偽作っぽいんですよね


私もそう思う。
たぶん、本人らしさを出そうとして頑張ったのだろう。
さっきから曹操を褒めすぎじゃないですかね。曹操といえば万能の天才みたいなキャラとして認知されていたのでしょうか?
曹操ほどの人物でも失敗はあるのですから、私のごとき者では……と、敵勢力の起業者を上げて自分を下げるような言い方を普通するでしょうか??

完全にその通り。
諸葛亮が曹操を褒めることは100%絶対にない。拷問されても有り得ない。
まして、自分が敬愛する主人をさしおいて曹操を上げるなどということは決してしない。

これを書いた者は何を考えてこういう文を挿入したのだろうか? 
「諸葛丞相は敗けても仕方なかったんだあ!」
と言って庇いたくてうっかりこう書いてしまったのか。
気持ちは分かるが駄目なことでしょう。
政治にも兵法にも響く根源的な誤りだ。
諸葛亮が生きていたら彼を呼び出して正座させ、「何故こういうことを言ったら駄目なのか」を理解するまで懇々と説教するところだな。
(笑。“説教で終わらせる程度の軽い罪”、という意味。本気で批判しているわけではないので念のため)

勝敗は兵家の常、先を読むことを難しいんやで、と言いたいようです。
そりゃあ誰だって先を読むことは難しいですが、それは後になってから言うことではないでしょうか。
始める時は可能な限り勝算を固めてから始めなければならないと思います。
始める前から誰にも先のことは読めませんと言うのは、勝ちを追求する責任を放棄していますよね。
諸葛亮ともあろう人がこんな態度をとるでしょうか。本当に偽作っぽいですよね。ブツブツ。

「可能な限り勝算を固めてから始めるべき」は完全にそう。
「勝ちを追求する責任を放棄」する発言を公の文で述べるとは有り得ない。

人物を観察するとき、一部情報にしがみつくと歪んだ解釈となる

最後だけ、少し違うかなというお話があったので僭越ながら述べさせていただく。

  「後出師の表」はなんとも弱気でセンチメンタルな文章です。
死してのちむなんて言って、ちょっと盛り上げすぎではないでしょうか。

いやお言葉ですが……。
諸葛亮本人がセンチメンタルな人間だったと思う。
だって現に泣いてばかりいたでしょうに(苦笑)
冒頭にも書いた通り「死して後已む」は本人の内心の吐露、口癖と思う。

あと、文章が「朴訥」とのご意見。確かにそれは性格の表れとして正しいのだが……

これが諸葛亮の文章だとはどうにも思えないんですよね。
そもそも諸葛亮は文章を長々と書く人ではありません。
諸葛亮の手紙を同時代の他の文人の手紙と見比べると、比喩や修飾語が極端に少なく、必要最低限の文字数で言いたいことをボンッと書き付けるような文章ばかりです。
しかるに、「後出師の表」は修辞的にりすぎており、諸葛亮らしくありません。

 「比喩や修飾語が極端に少ない」は、意外なご指摘。そうなのか。
確かに“愛想がない”人間だものなあ。
(以前、『出師表』テキスト診断したとき私の訳文だけ「愛想がない」という結果となった。諸葛亮の結果とともに巻き込まれて少々傷付く)

でも、

 >諸葛亮は文章を長々と書く人ではありません

これは違うと思う。
『出師表』はダラダラ長いと言われている。一般に。ご存知ないの?

たぶん、修飾語は少ないのだろうし文字数も他に比べれば少な目。
それでも「長い」という印象を人々に与えているのは、転調があったり余計な話(自分の身の上話など)を挿入するなど、横道に逸れているからだろう。
INTJではなくINTPの文

多忙で長文を書く機会がなかったのか。
あるいは後世に残った文書が抜粋なため短文になっただけでは。
INTPタイプの人は機会を与えられたならダラダラ長い文を書く。

通常、歴史家やマニアは一部情報にしがみついて拡大解釈するのではなく、他エピソードも総合的に見る。このため数々の「泣いた」という逸話から、諸葛亮が「センチメンタルでメランコリンク・めんどくさい」(笑)人間だということを知っている。
 だからこそ『後出師表』 のセンチな表現に
「あれ? やっぱり本人かな??」
との印象を拭いきれず、100%贋作と断定できないのではと思う。

『前出師表』を「ずばっと主張する強い印象の文」と評価するのは、この方とIBMのテキスト診断だけ

この方はもしかしたら『前出師表』の全文を読まれたことがないのではないか……と思ったのだが、どうもそうでもないらしい
ということは文章から性格を読み取る感覚がIBMのAIなみ?
ではなくて、諸葛亮に関して「冷酷な人(韓非子タイプ)だと思いたい」という歪んだ願望をお持ちの方なのかもしれない。
後で気付いた、この人は中共チルドレンだ。ページ下参照

『前』に関して、「劉禅に邪魔するなと言うための文」と決め付けるなどかなり歪んだ偏見がある。国語の文章読解テストだったら100点満点で5点くらいだ。
おそらく文章読解が苦手な渡邉義浩の話を鵜呑みにし過ぎなのだと思われる。
 →続き。この人たちが『出師表』の歪んだ解釈を声高に叫ぶ理由

諸葛亮は朴訥ではあるが、そんな強気のタイプではない。世の評価通りメランコリックでもある。
上のブロガーさんのように何かの思想で脳を汚染されていない、まともな歴史マニアさんは史実エピソードを総合的に見てほしい
…別館の関連記事(要パス)>>『正議』という文について感じたこと


ここで引用した はてなブロガーさん、プロフィールによれば「北京へ留学して勉強した」とのこと。なるほど、なるほど。中国共産党の教育を受けた方のようです。だから孔子学院の意向通りに歪んだ解釈をばらまいているわけだね。
(しかも、はてなブックマークのコメントを非表示に設定されている。真実を指摘されたらまずいという怯えが見え見え)
最近、政治的な工作以外で『三国志』サイトを運営している人が少なくなってしまったみたいだ。まともに趣味を楽しむために運営していた日本人の歴史マニアは、皆さんパクリと検索順位を落とす攻撃に遭って追いやられてしまわれた。

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