「孔明はHSP」再考。一兵卒は惨めではないがHSP認定は妥当、かな




先に解説。
  • HSPとは:超高感度人間Highly Sensitive Person)の略。生まれつき脳が過敏で、音や光に弱く繊細な人のことを言う。
  • スキゾイドとは:HSPに関連するが、脳が過敏過ぎるため自己防衛で外部との接触を極力さけようとする個性あるいは障碍。隠棲しがち。

HSPと諸葛亮について書かれた記事

前記事後半で少し触れた話はこちら、下記引用について。
またまた三国志から非常に分かりやすい例え話で例えると、
HSP(特にHSP,非HSSの場合)ですが、その育て方、そして本人の仕事の選び方によって、
諸葛孔明になるか
それとも弱い下っ端兵士として惨めに殺され死んでいくか
くらい違ってきます。
blog.livedoor.jp

これを読んだ2017年当時の私は「下っ端兵士」を「惨め」と仰ることに違和感を覚え苦言を呈したのだが、よく記事を読めばHSPの話としては妥当だった。

※2017年の記事はこちら↓。プライベートの占星術ブログであるため占星術と絡めて語っています。この種の話が苦手な方はクリック注意:
ksnovel-labo.com

決して決して、戦場で死ぬ一兵卒は「惨め」などではないが!(生きて帰った人も落伍兵ではない) そこだけは強く言っておきたい。

私が“妥当”と言うのはあくまでもHSPが置かれるべき環境とHSCの育て方について。

それからついでに言えば諸葛亮について「HSPではないか」と仰るのも、まあ妥当だなと今では思う。

孔明はHSPか疑問だった

上のプライベートブログに書いた診断結果通り、筆者はHSPである可能性が高い。
 子供の頃「臆病な子」と笑われ、「控えめ過ぎる」「繊細」「泣いてばかり」と呼ばれた筆者は間違いなくHSP。

でも諸葛亮は……どうなのだろう?
晩年はともかく若い頃は大胆にも見えるほうではなかっただろうか?

だから筆者は、
「諸葛亮は生来のHSPではなく後天的なHSP。戦略家の仕事が脳の構造を変えた、鬱病的で繊細になったのは職業病だ」
と以前は書いた。
戦略家の仕事は過酷なので事実そういうこともある。
(上記事で書いた通り近代戦略家の実態を参照のこと)

率直さとHSPは表裏一体なのかもしれない

ただ筆者の場合、HSPでありながら時として
「率直過ぎて失礼。他人の気持ちを無視する図々しい奴。アスペでしょ?」
と指摘されることもある。
 診断結果上アスペルガー(ASD)ではないのだが……。



先日行ったTwitterなどのテキストAI診断でも「主張が強い、リーダーシップあり」であることが確定して、日ごろの自分の評価とはかけ離れているのが意外だった。
でも筆者ブログを読まれている方はAIの結果に賛同するだろう。
「お前のどこが控えめなんだ、圧しが強過ぎてウザい」と常々思われているに違いない。

諸葛亮のAIテキスト診断でもほぼ同様の結果で笑う。市井の評価と真逆で驚いた。



この通り、どうやら繊細さと大胆さが同居している人間は現実にいるらしい。
矛盾していて理解に苦しむが。
誰よりも周囲の人たちが理解に苦しんでいることだろう……。申し訳ない。

謎を解く鍵は「スキゾイド」だった

しかし最近は脳科学や性格分析のジャンルが進歩していてこの矛盾に回答を与えてくれた。

謎を解く鍵は「スキゾイド」という定義。
最近ネットで俄かに語られ始めたこの個性定義が、「内面は繊細なのに表向き堂々としていて率直」という浮世人=偽装アスペを見事に読み解いている。

スキゾイドパーソナリティは、内面が敏感なため刺激を避けようとする。避けなければ生きられない。だから隠棲しがち。
どうしても外部と接しなければならない時は感受性のスイッチをオフにする。
このため表向き、「堂々として見え」「気を遣わずに何でも率直に言う」というタイプになる。
サイコパスとはちょうど反対に“鈍感な振り“をする。無表情の仮面を被る。下記事で引用したイラストが分かりやすい。(筆者にはこの感覚がとてもよく分かる)
ksnovel-labo.com

おそらく諸葛亮の若い頃はこのスキゾイドだったと思われる。
晩年になり本来の個性へ戻ったため(むしろ心の壁が溶けて治癒し正常へ戻った)あのように繊細なHSPとなり、神経ボロボロになって死んだわけで……。

だから冒頭マダムPさんの
「男性HSPが目指すべきは諸葛孔明」
とのお考えもどうなのだろうか?と思ってしまう。

やはり、一兵卒でもいいんですよ

決してマダムPさんを批判するわけではない。
親御さんたちへHSC(子供のHSP)の個性を尊重して大事に育てましょう、と説くことは正しいし素晴らしく良いこと。
自分もそのように理解ある親に育てられたら気楽だったろうと思う。生きづらさなど感じることなく済んだかもしれない。
最近の子は色々なことが分かった時代に生まれてつくづく羨ましいな。

ただ一兵卒と上官のどちらが人間として上等かと問われたら「どちらでもあってどちらでもない」と回答したくなる。

繰り返すが、一兵卒で死んでも私は「惨め」ではないと思うし上官だけが「目指すべき立場」ではないと思う。
人にはそれぞれ生きる立場があって、その立場における務めを懸命に果たせば良いだけだ。
 有名無名も関係ない。そんなくだらないことで人間の価値は決まらない。

大丈夫、お天道様は見ている。
少なくとも自分自身が自分はどういう生き方をしたか知っている。
人道を穢して卑しく生きることだけが不幸だし価値のない人生と言える。

たとえば現代の隣国役人や警察官たちは弱者を虐げ、拷問処刑など暴力の快楽に溺れて生きている。
人の死肉を貪り食って悦ぶ者たち。
生きる目的は暴力だけ、他者から奪い苦痛に歪む顔や悲鳴を愉しむことだけ。生きながらにして地獄に堕ちている――このほうが遥かに不幸で惨めな人生だ。
“救いようがない”とはそんな人間崩壊した獣たちのこと。

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