柿沼陽平『劉備と諸葛亮 カネ勘定の三国志』絶賛レビュー。諸葛亮は偉大な共産リーダー? 

前記事で『はじめての三国志』から抽出した雛型(パターン)に基づき、他のアンチ蜀による書籍から裏側の思惑を説いていく。


蜀をブラック国家として描いた歴史捏造本

柿沼陽平『カネ勘定の三国志』のなかで捏造された新・諸葛亮は、民を虐げて異民族を虐殺して利益を得るという、共産主義者たちが憧れる理想的リーダーの姿だ。
その自分が捏造した新キャラクターを著者の柿沼氏は「尊敬している」らしい。

「自分が捏造した架空キャラの諸葛亮を賞賛する」と述べる人は他にもいる。
早稲田大学教授、そして輝かしい中共の出先機関・孔子学院院長の渡邉義浩氏だ。
彼は本丸なのでここでは取り上げずにおこう。

柿沼氏は「あいちトリエンナーレ」事件で有名となった津田氏や、渡邉義浩氏が教授を勤める早稲田大文学部出身の学者。渡邉氏よりさらに明確に自らの思想を先鋭化して押し出している。



グーグル広告にて絶賛プロパガンダ中の『カネ勘定の三国志』では、驚くことに史書の根拠が全く無い!というのに
「蜀は諸葛亮という独裁者による恐怖政治が敷かれたブラック国家だった」
「蜀は諸葛亮の北伐で疲弊して国力が衰えた」
「蜀は軍事が最優先の恐ろしい軍事国家だった」
「南方の少数民族は、蜀の軍費のために犠牲になった」
と断定的に書いている。これぞ草しか生えない。

史書の根拠が無い妄想を書き、「参考書籍は自著のみ」である点、渡邉義浩氏と同じ。
※何故か出版直後から、書籍の内容をすべて鵜呑みにして絶賛するコメントがネットに溢れることでも渡邉氏と同じ

さすが渡邉氏の愛弟子とも言える早稲田大学院出身者だ。先生の教えを忠実に守っている点、感心する。
子弟愛が強いことには感心はするが、妄想だけで歴史を語るということは学者を名乗りたければやめたほうが良いだろう。フィクション作家の空想なら失笑で済むが。

史書は柿沼氏の主張と全く逆のことを示している

上級マニアには言うまでもないことだが、三国志初心者の方は騙されないように注意していただきたい。史書は柿沼氏の主張と全く逆のことを示している

・北伐で蜀の国力は衰えておらず、蜀は軍事優先のブラック国家ではない

北伐で蜀の国力が衰えた形跡はない。諸葛亮は果敢に攻めていくタイプではなかったが、兵士も国力も消耗せずに戦闘した東洋でめずらしいタイプの将だった。
私の話では客観性がないと思われる方へ。こちら、「軍事力を消耗しない戦い方」「人馬第一」が現れた遺跡の裏付けと、優れたマニアの分析を参照してください:
rtk3alliance.kslabo.work

・南方の少数民族が蜀の犠牲になったのに、脅迫されていたから諸葛亮を褒め称えるしかなかったという話は全く有り得ない

南方の少数民族は「犠牲になった」どころか、反乱を起こしても処罰されず解放され自由な暮らしを保障されている。蜀が潤ったのは南方の自由な経済活動による。中共のチベット、ウイグルに対する政策とは真逆である。

理屈で考えれば分かるはず。仮に諸葛亮の存命中に脅迫されて偽りの称賛をしていたのだとしても、諸葛亮が死んだ後(蜀が滅んだ後)まで嘘を続ける必要は全くない。蜀が滅んだ時にはまだ諸葛亮時代の人たちは生きていたのである。過去に虐げられ、脅迫されて真実を言えなかった人たちは反動で「虐待された」という話を大げさに膨らませ伝えたことだろう。つまり、柿沼説が事実なら南方における諸葛亮の評価は今と真逆になっていたはずだ。

中共はあのような酷い蹂躙をしても洗脳教育さえすれば諸葛亮のように将来にわたって「チベット・ウイグル民族から我々は神と崇められ称えられる」と思いたいらしい。蹂躙した地域の住民が加害者を称えることなど、人類の歴史で決して有り得ないから諦めろ。
民を脅して脳を洗い、民の心を嘘の歴史で書き換えることは不可能だ。民族の心は決して書き換えられない。
諸葛亮が現在このように南方民族から称えられているのは、その当時に大事に扱われ、自分たちも豊かになり潤ったからでしか有り得ない。

参照:
rtk3alliance.kslabo.work

この通り柿沼陽平氏の説は史書と遺跡で明白に否定される。
『正史』にもフィクションが挿入されていることは確かなのだが、それは当時の政権である晋と前政権の魏を称えるためのフィクション。
晋代に「敗軍の将」であった諸葛亮に対して作り話で賛美することは全く考えられない(貶めることはあっても)ので、上の記録は事実だった可能性が高い。

仮に、不可解なことに勝者の権力によって敗者が史書で賛美されたとしても。
そもそも民を虐げた権力者を賛美する歴史書を、被害者である同時代の民が許すはずがないだろう。
民をなめるな! と言いたい。
(共産思想に洗脳されている人は民の力を限りなくゼロに近いほど過少評価する習性を持つ。プロパガンダという嘘を教え込めば、馬鹿な民衆ごときは簡単に言うなりになると思っている。どちらが馬鹿なのか)

中共のように圧政を敷いているのなら、民衆が恐怖で縛られて公に本当のことを言えないのも仕方がないが。
『正史』が上梓されたのは蜀が滅び諸葛亮の権威などとうに消えた後なのだ、どうして民が蜀に関する真実を口にすることを控える必要がある?
まして、民を虐げた者が民の祭りで山車に乗せられるか? ほぼ同時代の祭りで。
その当時に民の間で人気が無ければ、「敗軍の将」が祭られることなどは有り得ず、上のような評価が残ることも全く有り得ないのだ。

しかし柿沼氏は、妄想史家にありがちなことだが
「史書は嘘。書かれたことはぜーんぶ、ぜーんぶ嘘! だって陳寿が諸葛亮推しだったから、なにがなんでも嘘に決まってるんだもん」
根拠なしに主張する。
(そのわり自分にとって都合の良い、曹操を崇めて蜀と諸葛亮を貶める記録なら「真実」と認める。信じがたい不公平な妄想だ)

もしかしたら柿沼氏は『正史』が上梓された時代を知らず、キリスト教『聖書』のように数世紀も経た後に権力者が編んだのだと勘違いしているのかもしれない。
だとすれば、『正史』の時代にまだ諸葛亮存命の時代を知る人々が生きていたことを知らないのも無理はない。
だが、そこまで無知な人が三国志に関する本を書いてはいけない。
ネットでさえこのレベルの知識の人が三国志に関して「史実」を語ることは許されないのだから、学者の権威を着て上からの圧力で、一般読者を騙すような本を出版すべきではなかったと言えるだろう。

柿沼氏を鵜呑みにした絶賛レビューより引用

参考までに。
柿沼氏の不可解な言説を一つだけ引用する。
こうして保持された蜀漢の兵は、三国時代の人口統計を駆使すると、ほぼ十万人であったとみられる。輜重部隊を抜くと、実戦部隊はせいぜい数万人であろう。(中略)これにたいして蜀漢の戸籍登録上の人口は百万人前後であった。これは地主の申告した数値に過ぎず、じっさいにはより多くの民が地主の支配下にいたはずであるが、この登録数に従うと、蜀漢中央政府は、約百万の人口・約十万の兵卒・約四万の官吏を抱え、その数値を基盤として財政を運営していたとわかる。これは、総人口の約六,七人に一人が官吏や兵卒であったことを意味する。(p214)
※こちらのブログより再引用。このブログ主は書籍に書かれたことを鵜呑みにしているようなので、気の毒に思う:
web.archive.org

現実を述べれば三国時代の戸籍は実数ではなく、実際の住民数は把握できていない。この時代に素直に戸籍登録している者などほとんどいなかったのだ。
こんなことは少し三国志をかじった俄かマニアでも知っている
それなのに学者を名乗る柿沼氏は実数ではないと知れ渡っている戸籍をもとにして
「総人口の約六,七人に一人が官吏や兵卒であった。蜀の兵員数は人口に比して異常なほどにふくれあがってしまった」
などという謎の断言をしている。

さらに注目すべきことに柿沼氏は自分自身で
「地主の申告した数値に過ぎず、じっさいにはより多くの民が地主の支配下にいたはずであるが」
と言っているにも関わらず、その直後に
「この登録数に従うと、…」
として実数ではないはずの数をもとに結果を導き出しているのだ。
これは何か、失礼ながら脳のご病気の症状を表すのではないか?

自分自身が書いた直前の文章すら忘れてしまうのは、若年性認知症が疑われる症状だ。早急に病院へ行くことをお奨めする。
もし若年性認知症でなければ、何らかの意図をもって誰かに渡されたシナリオのまま任務を遂行しているのだとしか考えられない。
脳に障碍があるなどと考えるのは気の毒だから、柿沼陽平氏の名誉を守るためには「共産団体の工作員」で「陰謀のために歴史捏造本を出した」と考えてあげることが最も優しい見方なのではないだろうか?
なおこれは、あくまで柿沼氏に関する私の想像に過ぎない。

諸葛亮を共産国ふうのリーダーとして描き始めたアンチ蜀たち

このように『はじめての三国志』ライターや柿沼陽平氏を眺めれば分かる通り。
最近のアンチは蜀を悪者国家だと言い募って貶めつつ、諸葛亮については「民を虐げる諸葛亮が大好き」「自分はマキャベリズムの孔明推し」と称えるようになった。

「称える」と言っても、自らが捏造した歪んだ空想キャラクターとして称えるのだ。
その「歪んだ空想キャラクター」としての諸葛亮は、柿沼氏が分かりやすく開示してくれているように
恐怖政権を敷き民を虐げる独裁リーダー
としてなのである。

彼らが称えるリーダーは常に「民を虐げる独裁リーダー」でなければならないという大前提があるからだ。
何故ならば、共産主義は「民を虐げる独裁政権」を理想とするから。
ついでに言えば、「一定数の人民を虐殺しなければならない」とも説くのが共産思想。
このため共産国家は必ず民を虐げて恐怖政治をするのだし、共産主義者はそのような恐怖の圧政を理想として目指すのだ。

参照:
rtk3alliance.kslabo.work

 おそらく彼ら左翼仲間の間では、自分が従う政権に反するような「民に優しいリーダー」は、決して称えてはいけないというルールがあるのだろう。
民主主義をイメージさせるリーダーを少しでも褒めると仲間からリンチに遭ってしまうのかもしれない。

証拠に彼らは決して劉備を褒めることはない。常に劉備は「盗人の悪党」として書かれる。
曹操と対峙した劉備自身に「民の味方」というイメージがあるせいだが、さらに暗号を読み解けば、劉備はノーベル平和賞を受賞した「劉暁波」さんを連想させるからだと分かる。
いずれにしても劉備を褒めることは、共産党員とシンパにとって禁忌なのだ。

であるなら左翼は左翼らしく単純に曹操だけを崇拝していれば良かったのに、最近のアンチ蜀は歪んだ形で「諸葛亮推し」へ方針転向している。
何故なのか。
それは諸葛亮を批判し貶め続けてきた中国共産党が、儒教を国民支配の道具として使うために(儒教を体現したと思われている)諸葛亮を褒める方針へ転向したからだ。

日本の左翼の多くはこの中共の転向についていけず、反日コリアンなどは未だに諸葛亮を「反日シンボル」と見て悪辣な悪口をネット上へ書き込み続けている。
しかし渡邉氏など、中共と縁の深い孔子学院の教授たちは見て分かる通り「諸葛亮推し」へ転向したのだった。

ただし、歪んだ形で。

粛清もせず民を虐げることもなかったという、史実に基づいた諸葛亮の話では
「独裁こそ正義」
「民を虐げる恐怖政治は賞賛されるべき行い」
「粛清は必ず行うべきもの」
という彼らの左翼信念に反することになる。
そこで中共伝授の嘘・歴史捏造手法を用い、このように歪んだ
「独裁キャラクター諸葛亮」
を妄想で作り出した。
こうして左翼工作員たちが一斉に
「マキャベリズム孔明、カッコイイ!」
などと歪んだ称賛を叫んでいる。

民を虐げるリーダーのどこがカッコイイのか私は理解に苦しむが、共産思想に洗脳された人々は皆「民衆虐殺」がキラキラした正義なのだと本気で思っているのだし、自らも独裁者に支配されたいと望んでいる。
我々には理解しがたい、「虐げられたい」「殺されたい」と叫ぶロボットなのだ。

ところで彼らはこの自分たちが作り上げた新キャラ孔明を日本に浸透させ、蜀ファンや孔明ファンを共産思想へ取り込み洗脳しようと画策している。
それによって中国共産党の支配もすんなり受け入れるよう洗脳しようとしていると思われる。これがアンチ蜀の思惑で最終目標である。

嘘で嘘を固めて嘘の世界で生き、受け入れられることのないプロパガンダを力でゴリ推しする態度は、いかにも共産主義の人々らしい。

しかし世間の共産リーダーと、民のために過労死した諸葛亮とではあまりに違い過ぎる。

蜀ファンはたぶん『吉川三国志』や史実の諸葛亮が好きなのだと思う。そのような人々が、歪んだキャラクターとして作り変えられた恐怖の独裁者を崇拝できるわけがない。
独裁者を本気で崇めている左翼の人々にはこの点が理解できずゴリ推ししている。

史書を見れば左翼たちの捏造した「新キャラ諸葛亮孔明」は何もかも理屈に合わず、真逆であることが明らかだ。

蜀ファンの皆様はどうかこのような悪質な捏造本に騙されませんように。

 正当な読者レビュー引用

柿沼陽平氏の本には、何故かネット上で絶賛するレビューしか見受けられない。
私はすでに三人の方々からご報告いただいているが、皆さんamazonや読書メーターなどのサイトでこの本について書いた評価を削除されたそうだ。(正当な書籍への感想で、少しだけ批判的だったというだけで)

どうも、柿沼氏や渡邉氏は『はじめての三国志』と同じようにネット上の批判的レビューを削除しまくっているらしい。

amazonで唯一残った星一つのレビューは消される恐れが大なので、ここに引用させていただく。
これだけで本の内容が分かるほど秀逸なレビューである。
当ブログ筆者はフィクション三国志について詳しい知識がない。以下のレビュアーはフィクション・史書ともに非常に詳しい上級マニアが書いていると思われる。ぜひ参考にして欲しい。
Kenne:5つ星のうち1.0
無理矢理かつ恣意的な論調が目立つが、この手の本にはよくある事か
2018年5月25日
例えば通説や物語等で善玉とされている人物を実はこんな悪人だったと言ってみたり、逆に悪役として描かれてきた人物を実はこんな善人だったと言ってみたり。歴史物ではよくあるこの手の天邪鬼な流れを見るにつけ思うのはシンプルに、人間はそのように善悪一面だけで語れるものではないだろうということだ。歴史に名を残した人物であるならば尚更のこと。
この本についてはとりあえず善玉として描かれてきた人物を悪人としたいという姿勢ありきで、史実の単純な記述を「これは~という可能性がある」「これは~であるはずだ」などと主観的かつ無理矢理な論調で恣意的な結論に持っていく部分が多々見られ、記述すらない当時の民の「民意」を著者が何故か代表し勝手に推し量った上でのブラック企業的である等といった突然の現代的視点からのレッテル貼り、他との比較も無い決めつけも多く、その辺りは率直に言って非常に萎えた。二次創作の物語ならそういう路線のものはあってもいいし個人的には面白いと思うが、これが実像です!この人物の真実の姿なのです!などとドヤ顔で宣言されるのは正直引く。まあ歴史上の人物についての研究書というのはえてしてそういうものになってしまうのかもしれないが、最終的に出てくるのがこいつはこういう奴だから(笑)という謎の断定なのはあまりに短絡的で一面的な捉え方であり、誠に残念。
またこれまでの常識を打ち破るだの美化されてきた人物の本当の姿~だのとあるが、タイトルにある諸葛亮や劉備については、三国志初級~中級者がよくかかる麻疹といわれるアンチ演義病、アンチ蜀病に罹った人間などには割と悪し様に言われることが多い人物だと思われるので、既にレビューされている方も言われている通り神格化されている関羽や、こういった時に触れられることの少ない呉の人物について掘り下げる方が新鮮かつ常識を打ち破れるのでは。小説やゲームでは美化されている~とあるが某ゲームではその暗部がほぼ抹消されている孫権や曹丕の方が、ストーリー上で北伐や夷陵が描かれる諸葛亮や劉備よりも美化(というより漂白か?)されているとも言えるだろうし。かつて蒼天航路が流行った時分から曹魏=大正義・大ヒーロー、蜀漢=梟雄・ヤクザ・トリックスターのような認識をしている人間もかなり増えたので、いつも美化される蜀漢~という言い分に今更感もある。近年では持ち上げられ美化されているのは今や曹魏の方という見解も界隈ではよく見かける(蒼天航路は正史ベースと言いつつぶち込まれた多くのオリジナル要素から見ても、魏を主役に据えた三国志演義ともとれる)。まあ個人的には正直そこ二国よりも孫呉にスポットを当ててほしいのだが。

物語で美化されてきた蜀漢の暗部だけでなく、持ち上げられ過大評価されることの多い曹魏や司馬一族の暗部や凄まじい自滅をした孫呉の暗部、他後漢やその他の地域に生きた人物の暗部も平等に取り上げているとても興味深く面白い本が出たばかりだったので、尚更恣意的な部分が目についてしまいこの評価で。


感想追加

他に、参考になったブログの感想から引用しておきます。
本書からは、「劉備・諸葛亮善玉史観」を見直す、という強い意気込みが窺えますが、率直に言って、空回りしているところが多分にあると思います。ただ、「素朴な英雄史観」の批判と、経済を重要な視点とし、民衆の負担に着目したところは、新書の『三国志』ものとしてよかったのではないか、と思います。
 本書は、劉備や諸葛亮(に限らず『三国志の時代の英雄の多く』)の政策・決断が民衆に重い負担を強いるものだった、と強調します。確かに、それは間違いないのでしょうが、一方で、本書も指摘するように、諸葛亮は後世の人々からのみならず、すでに(準)同時代の人々からも為政者としての手腕が高く評価されています。本書が指摘するように、諸葛亮が蜀(蜀漢、漢)をよく統治していたことは間違いなく、諸葛亮の統率力が優れていたことを疑う余地はないようです。しかし本書は、諸葛亮を賛美する史料を残した人々もまた、支配層側の知識人だったことを指摘します。当時の支配層には、民衆の負担と苦しみへの視線は弱く、諸葛亮の統治が民衆に重い負担を強いたことと、諸葛亮の賛美は両立し得る、というわけです。諸葛亮に限らず、本書のこうした観点は、とくに前近代史において重要となるでしょう。

sicambre.at.webry.info

 >率直に言って、空回りしているところが多分にあると思います。

笑った。
ただひたすらに「蜀を悪く書く!」「独裁を正当化する!」との目的だけで書いているのだろうから、空回りして当然だろう。

ただこのブログ主様は優しくて、柿沼氏の主張を鵜呑みにしているところもある。

>しかし本書は、諸葛亮を賛美する史料を残した人々もまた、支配層側の知識人だったことを指摘

ご存知ないのだろうが、これは渡邉氏の「名士論」という妄想史観に基づく。
読み書きのできない人たちまで全て「名士」と定義する無茶な説なのだが、読み書きもできない人々は果たして「支配者階級」と言えるのだろうか?

なお、事実として諸葛亮を賛美したのは主に当時の一般大衆である。
諸葛亮の死の直後から祭りの山車で彼が担がれていること、民間の劇で様々なフィクションが造られ語り継がれたことがその証拠と言えるだろう。

名士たちは後から大衆人気におもねっただけに過ぎない。
本物の「名士」すなわち知識人たちは現代と同じく政治談議が好きで、諸葛亮の生前も死後も様々に批判し議論したと伝わる(正史『諸葛亮伝』裴松之注)。しかし大衆の間で彼が人気だったために、名士たちも徐々に批判を控えるようになっていたのだと思われる。自分が大衆から嫌われたくないからだろう。

>当時の支配層には、民衆の負担と苦しみへの視線は弱く、諸葛亮の統治が民衆に重い負担を強いた

空想の余地が残る古代に関してはそう思ってしまいたくなるのかもしれない。
しかし、蜀の民が諸葛亮の恐怖政治で苦しんだという証拠はあるのだろうか? 
前項にも書いた通り、虐待されていた当事者である民がどうして諸葛亮を祭りの山車にかついだり、劇で語り継いだりしたのだ? 全く有り得ないだろう。

なお「古代の人だから恐怖政治で民を虐げて当然」と思うのは完全なる偏見だ。
現代人の中共のほうがよほど民を酷く虐げ苦しめている。生きたまま腹を切り裂いて臓器を売買するなどという残虐な施策は、古代人には想像すらできなかっただろう。

(ちなみに繰り返しておくと、「民衆の負担と苦しみへの視線は弱く」とは中共の投影。これは中共の独裁を正当化するための捏造だから鵜呑みにしてはならない)

たとえば圧政を敷いたとされている古代ローマ政権の為政者ですら民衆の意見に左右されていた跡がある。古代の人は意外と現代人より民に気を遣ったのだ。

人道を合理と考え、人馬の一つも失うことを恐れた諸葛亮ならなおさらのこと。
過労死するまで働いたのは蜀の民のため意外に有り得ない。そんな人間がどうして民を苦しめたりするだろうか?
民を虐げる者は、他人を死ぬまで働かせて自分は美食と惰眠を貪る者だ。現実の共産国リーダーたちのように。

>諸葛亮が蜀(蜀漢、漢)をよく統治していたことは間違いなく、諸葛亮の統率力が優れていたことを疑う余地はない

柿沼氏がそのように言って褒め称えるのは
「共産主義者的な独裁リーダーで民を虐げた」
という架空キャラクターについてであって、史実の諸葛亮のことではない
嘘に騙されないで欲しい。
共産主義者たちの本音は、現実に民を虐げることなく蜀を統治した諸葛亮が憎くて憎くて仕方がないのである。そんな人間が過去に存在したこと自体が許せない。しかし過去の人物は処刑できないので、史実を抹殺しようとしているのだ。※


※「諸葛亮の史実が抹消されたから何が問題なの?」と不思議に思う方のために書いておく。
これは単に歴史人物の歴史が捏造され、史実が抹消することだけを意味しない。彼ら共産主義者たちはこの世から蛮行の邪魔になる全ての歴史を抹消しようとしているのだ。
ここに書いていることは「たかが三国志」、東アジアの片隅の歴史が一つ改ざんされたからと言ってどれほどの影響力があるのかは知らない。だが、少なくともこれは共産主義による世界改造の第一歩となり得る
このような捏造は今、あらゆるジャンルで行われている。我々は捏造に気付いたら阻止しなければならない。

【削除工作について】
左翼たちは「トリエンナーレ不自由展」が中止された事件で「言論の自由が危機だ!」などと叫んでいるわりに、自分たちは平然と削除工作をして言論弾圧をしています。
三国志ジャンルでも同じ。
今まで『カネ勘定の三国志』に関する批判的レビューが即座に削除されてきた事例から推測される通り、柿沼氏らアンチ蜀の工作員たちはこのブログ削除を狙い、筆者を訴える準備をしていることでしょう。
でもこのブログ記事が削除されたりツイッターアカウントが凍結されたら、見ている人には「工作員の陰謀確定」と伝わる。『はじめての三国志』が安易な削除工作をしまくったために、見ていた人たちの間で「犯罪サイト確定」と伝わったように。
また私が名誉毀損の裁判に引きずり出されたら誰でも閲覧可能な情報となるため、経緯は半永久的に残り続けることになります。民事訴訟法91条1項参照。

↑しかし共産主義者たちはこのように結果を考えられるほど賢くないからこそ、世界メディアの前で堂々とチベット・ウイグル・香港の弾圧をしているのだろうけどね。「心を攻める」ことなど中共には絶対無理。どこが「自分たちのチベット・ウイグル施策は諸葛亮と同じ」なのだか。

★2019/12/21時点のスター・ブックマーク。ありがとうございました。

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