「曹操が諸葛亮を評価しなかったのは意外」という話こそ意外

アンチ蜀の人たちは「曹操は諸葛亮を評価しなかった」という話が大好きなようだ。
この件について現実的な話をしてみる。

アンチ蜀?のツイートより

ここのところ意識が三国時代から離れていて、このジャンルの記事がおろそかになっていた。申し訳ない。
自分からネタを探しに行き、目に留まったツイート。

さほど険悪な感じはしないがこの人もやはりアンチ蜀なのだろうか?
何故ならアンチ蜀の人たちが寄り集まって
「諸葛亮は曹操に評価されていない。ってことは無能なんだ、ギャハハww」
という頭の悪い会話をなさっているのをよく見かけるので。((彼らアンチは何故か曹操を絶対的な超人と崇めている。このため同時代の人々の人物評価も「我が偉大なる曹操様が評価しているか否か」、だけを基準として決めているらしい。思考全てが「曹操マンセー」。))
「ちょっと意外なんだよなぁ」
との言葉も『演義』好きの人へ嫌味攻撃をしているつもりだろうか? 
アンチだとすればリプライで絡んで申し訳なかった。

まあ、このように解釈するのは捻くれた見方なのかもしれない。
中国の知識人が集まる掲示板でも
「曹操が諸葛亮を評価しなかったのは意外です。何故ですか?」
という質問を見かけたことがあるから、三国志中級者にはわりとポピュラーな論点なのだろう。

未来の視点からでは分からないこと

私にはむしろ
「曹操が諸葛亮を評価しなかったのは意外です」
という話のほうが意外だと思えてしまう。
直接に学んだ史実しか知らない私は、現実における時系列の知識しかないからだ。

いっぽう『三国演義』は未来視点で編まれたフィクションである。
晩年~死後の中華において諸葛亮は非常に高い評価を得たために、『演義』という千年後の未来人が編纂したフィクションにて天才軍師に仕立て上げられたらしい。
以降、全ての三国志ファンは『演義』から三国志の世界へ入ることになった。((私は「三国志ファン」というわけではないので、『演義』を知らない。たぶん世界でただ一人の特殊ケース。))
『吉川三国志』となったり『横光マンガ』『人形劇』と変化したとしてもそれらは全て『演義』がベースの二次創作だ。
この『演義』に対してアンチになり、『蒼天航路』を史実と勘違いして曹操崇拝者となるか、それともオーソドックスな三国志を好きなままでいるかの二択の道が現代日本にあるらしい。いずれにしても『三国志』ファンとは、『演義』という未来視点のフィルターを通して過去を眺めている人々のことを指す。
★重要な追記: ただし上級マニアになると現実の三国時代視点から眺めているような話をする。ここまで行くと「ファン」を越えて「先生」または敬称としての「真のオタク」と呼ぶべきである。

そのような未来視点の『演義』を当たり前に受け取ってきた三国志ファンは、登場時点ですでに物語の重要人物として描かれる諸葛亮を、曹操が称賛したり憎んだりしていないことを不思議に思われるのだろう。
特に日本人は、吉川英治の創作によって
「三国時代は曹操と諸葛亮の対決」
というイメージを刷り込まれているらしい。
だからなおさら、諸葛亮のライバルであるはずの曹操が彼について何も語っていないことを意外に思われるのかもしれない。

そんな未来視点の物語は、実は人物同士の年齢差などをほぼ無視している。
このためストーリーが現実では有り得ないおかしなことになっている。
たとえるならアクリルの3D金魚のように人物同士を重ねて透かし、上から同時に見ているようなもの。描かれた絵そのもの(年齢差を考慮した人物の立ち位置)は想像することさえない。

アクリルの3D金魚:

 投稿後の呟き:この喩えは分かりづらかったかもしれない。「等高線を無視した平面地図」のほうが良かったかな。

曹操と諸葛亮の年齢差は26歳


現実を言えば――
曹操や劉備世代と、諸葛亮の年齢は二十歳以上離れているのである。

劉備と諸葛亮の年齢差は20歳。
曹操と諸葛亮の年齢差は26歳だ。

あなたは26歳も年下の、会ったこともなければ仕事で絡んだことすらない相手を評価できるだろうか? 
安易に「評価できる」と答えるのだとすればあまり賢明ではない人と言える。

私が想像するに、曹操も劉備と同じように時代の先端を走ったトップリーダーであるので、自分が直接絡んで理解できた相手でなければ公に評価をしなかったはずだ。

【関連する話】劉備も現実では自分の目しか信用しないリーダータイプ。だから人づての噂だけで諸葛亮に三顧礼をしたという話は嘘、樊城の対面からのスカウトのほうが史実として正しくなる。以下記事参考。
shoku33.hatenablog.com
 特に曹操は、「自分の出世にとって使える道具かどうか」という基準で人を見た。徳治主義を嫌悪していたのだから人間性・人格などに関心があるはずもない。
さらに劉備と違って「若者の人材育成」になど微塵も関心を持たず、おそらく即戦力にしか関心がないタイプ。
極端に実利主義だ。
しかも相手を「物」としか見ない。このため「道具」が少しでも意見すれば拷問の末に殺してしまうし、長年の功績ある家臣であっても病気になれば「使えない」と言って即座に捨てたのだ。

曹操の存命中、諸葛亮はすでに大衆の間で人気を得て有名だった。だが内勤だったため彼の実像に関する情報が他国へ知られることはなかっただろう。この点について詳しくは次項目で書く。
劉備について戦場へ赴いた法正に激しく興味を抱いた曹操も、蜀内に控えて戦場に出ることのなかった内勤者に関心を持つわけがない。大衆に人気があるというだけでは具体的な情報がなく、関心を持ちようがないのだ。


諸葛亮は曹操の存命中、無名だった?

「曹操の存命中、諸葛亮はすでに大衆の間で人気を得て有名だった」についてもう少し詳しい話。

上ツイートより、

>曹操存命の頃は(諸葛亮は)あまり知られてなかったのかなぁ…。

これはさすがに有り得ない。「そう思いたいだけ」というアンチの願望が現れている。
理屈で考えても劉備が執心する側近として早くから話題になっていたはずだし、まして赤壁戦で使者として重要な役目を果たした後だ。(周瑜とのやり取りは盛られたフィクションだが使者となったのは史実)
その後、諸葛亮は荊州三郡を立て直したことで非常な高評価を得ている。
「あまり知られていなかった」どころか、すでに中華全土に名は知れ渡っていたと考えなければおかしい。
下記事、宇山氏のように「諸葛亮は死ぬまで無名だった。司馬懿が評価したから初めて有名になったのだ」などと言う人は、記録文から現実を推測することが極端に苦手なのだと思う。素人なら仕方ないが、ここまで想像力のない人が史実について商業本で言及すべきではない。

shoku33.hatenablog.com
ただ曹操・劉備存命中の時点では一般大衆の間で「諸葛亮」の名は話題となっていても、実像に関する情報は出回っていなかったはずだ。逆に情報が出回っていたら諸葛亮自身が困ったはず。

この記事だけ読んでいる人のために他記事で書いたことを繰り返し解説しておく。
諸葛亮は劉備の存命中、
「軍師将軍=防衛府長官」
として長短期の戦略全てを担う立場にあった。兵站など事務的な手配から小規模戦闘の作戦まで、全てが諸葛亮が管轄する軍師府を通して行われた。(現場における作戦変更は除く)
戦争について幼稚園児程度の知識しかない人たちが、「諸葛亮は戦場に出たことがないから軍事素人だったw」などと言っているが、同じ日本人として無知を晒されるのは恥ずかしいから本当にやめて欲しい。
戦争とは現場でチャンバラすることだけを差すのではない
なお軍師府とは当時の国家など組織における軍事を管轄する部署。最高シークレット部署だ。その具体的な仕事内容や作戦計画書が外部へ公開されることはない。と言うより、そんな機密情報が外部へ漏れていたら大変困るだろう。笑

そして曹操は上に書いた通り、トップリーダー全てがそうであるように具体的な情報がなければ他者へ関心を持たない人だ。
だから「曹操が諸葛亮を評価しなかった」のは当然のことでしかなく、意外だと考えるほうが私には意外なのだ。


 「フィクションイメージに囚われる」とは『演義』を鵜呑みにすることだけを指すのではない

皆さん『演義』を鵜呑みにしている人のことだけを「フィクションイメージに囚われている」と呼んでバカにしているが、実は未来視点のフィルターを通してしか過去を眺められない全ての人が「フィクションの虜」と言える。
日本では歴史学者までもがこの「フィクションフィルター」を通してしか三国時代を眺めることができないらしい。日本の歴史学は低レベルなのだなとつくづく思う。政治的な思惑に侵された三国志ジャンルだけが特殊なのかもしれないが。
(むしろ学者を名乗っていない、上級マニアのほうがフィルター無しで正確な話を語っていることが多いので尊敬できる)

なお
「三国時代は曹操と諸葛亮の対決」
という話は、未来から俯瞰して眺めれば決して誤りというわけではない。
だがそれは時を越えた視点でのみ言えることで、むしろ神秘的なスピリチュアルジャンルの「運命」という次元の話になる。
私のようにスピジャンルに片足を入れている人間が、これはスピリチュアル話だと宣言してから「想像」として語るなら構わないと思う。だが、皆さんが歴史学として考えるべきことではないのでは? 

歴史学はあくまでもその時代を切り取り、誰がどう考え・どう動いてどのような力学がはたらいたかを観察する学問ではないかと思う。((これができなければ他の時代と比べる俯瞰思考も不可能なのである。ポイントを理解しなければ「俯瞰」して骨組みを解釈することなど、さらに無理。))
つまり、現在に置き換えて語ることができる形で観察する。
そのためには視点をその当時に降ろし、時系列に縛られ考えていかなければならない。
未来のフィクションフィルターをはずすことができず、史実もフィクションもごちゃ混ぜな歴史学者に「温故知新」など永久に不可能だ。


諸葛亮は曹操をどう思っていたか?

前項までで説明した通り、現実において当時の曹操も諸葛亮もお互いをライバルなどと思っていなかったことは確かだ。
まして曹操は諸葛亮より遥かに年上なのだから意識することなどは有り得ない。
いっぽう諸葛亮のほうは当然ながら幼い頃から曹操を「虐殺王」として知っていて、他の一般民と同じように嫌悪していただろう。

ただし諸葛亮が曹操を嫌った気持ちは、我々がヒトラーや習近平に抱く感情と同じであるはずだ。
彼ら「虐殺王」が同時代・同国だったら存在してもらっては困る、どうにか民への虐殺をやめさせるため権力を削がなければならないと思う。それ以上でも以下でもない。

ライバルと考えることも有り得ない。諸葛亮は曹操について「対抗すべき敵」と思っていたかもしれないが、若い自分と前世代の敵方リーダーを同等に並べて置くことはまず考えられないだろう。感情としては今、香港の人々が習近平に抱くものと同じだと思われる。

人物評価は現実の「有害な存在だから戦わねば」という喫緊課題とは別。
視点を引いて人物として眺めるなら、諸葛亮も特に感情は持たず曹操の軍事・政治を評価しただろう。尊敬心を抱くことなどは絶対に有り得ないが。
なお『後出師表』は他者が書いた可能性が高いので、その文書における諸葛亮の曹操評を真実と思ってはならない。

■おまけの話

ちなみに私、筆者は曹操にあまり関心がない
虐殺王に尊敬心など持ちようがないし、同時代に生きているわけではないから憎しみも湧かない。好きか嫌いかだけで言えば、もちろん大嫌いだけど。笑
(これは「虐殺王」全てが無条件に嫌いなだけで、曹操個人に関して持つ感情ではない)
ただ、曹操のような虐殺好きのサイコパスが社会で浮上しないような国家システムについてのみ、関心がある。そのために曹操もサンプルの一人として眺めている。
また曹操のような「虐殺王」に中毒してしまい、“マンセー”と叫び崇拝している人々も観察対象である。
中国人民のように幼い頃から強制的な洗脳教育を施されたわけではないのだろうに、何故『蒼天航路』などの丸ごと嘘フィクションを鵜呑みにして萌え萌え叫ぶことができるのか? どうして史実を冷静に観ることができないのか、史書を読んでも洗脳された後ではフィルターがかかって歪んだ見方しかできないのか? 愚かで不可解な人々である。
どうやら「虐殺王」の虐殺という行為そのものに性的興奮を覚えて崇拝してしまい、積極的に洗脳され支配されることを望む人間がこの世には一定数いるようだ。
虐殺命令が出たとき、大喜びで実際の殺戮を行うのはこの人たちだからよく観察しておきたい。
こういう人々を生まないか抑え込む社会システム、教育システムにも目下関心がある。

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