『戒子書』~息子と甥へ宛てた手紙「徳は安定とバランスから」


手紙

〔2020/4/2〕敬体から常体へ改稿

『諸葛亮の手紙』として伝わる文は、私には若干の違和感がある。
翻訳文のせいかもしれない。
これはすなわち解釈の誤解とも言える。
いずれ原文を見ながら分析し、私なりに翻訳してみようと思っている。

ただしこの手紙の中には、確かに諸葛亮の考えによる文が含まれると思う。
こちらのサイトから、日本語訳を全文引用しておく。

※宗教系サイトなのでアクセスの際はご注意を
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/04/html/d14932.html

私が確かに本人らしいと感じる箇所には下線を引いている。
 息子への手紙:

徳と才能を備える者の行いは、心静かで安らか、精神が集中し、エネルギーのバランスを保つことから来る。人は心と身体を修養し、自分の行いに気をつけ、精進しなければならない。もし人が世俗の名利に淡白でなければ、己の志が見えなくなるだろう心身が穏やかでなければ、大きな理想を成し遂げることはできない。学習したなら必ずそれを吸収し、能力を高めるには刻苦勉励しなければならない。努力を怠れば、才能と智慧が伸びることはない。もし己の志が明確でなければ、勉学をしても成就することができないだろう。享楽を追及し、怠慢で散漫であれば、精神を奮い立たせることはできない浮ついて短気な者は、己の気質をコントロールすることができない。彼は年を重ね、志も退化していき、結局、何も成し遂げることができない。最後には社会にとって何の価値もない人間となる。その頃にはやるべき事もなく、自分の小さな世界に閉じこもって、自分が出来なかったことを嘆くのみだ。

 甥への手紙:

人は、高尚で壮大な志を持たなければならない先賢を敬い、情欲を絶ち、己の前進を阻害するものを捨てなければならない。この方法でのみ志を遂げることができ、心を震撼させることができる。人はどのような状況にも柔軟に適応し、表面的なことは気にせず、猜疑心を絶ち、欲深くなってはいけない。このようであれば、挫折を味わったとしても己の気質と志を損なうことはない。それで志を遂げるかどうかを気にする必要はない。もし人の志が堅く、決然としていなければ、彼の精神は誠実ではなく、成功せず、一時の流行に溺れ、頭がはっきりとせず、色情に束縛される。そのような人物は永遠に凡人、あるいはそれ以下である。
下線部に関しては当ブログ筆者も完全に同意見。

>心静かで安らか、精神が集中し、エネルギーのバランスを保つことから来る

この箇所は確かに諸葛亮本人が書いたか、普段からの口癖を写し取ったものだろう。
もし他人が書いた文なのだとしても、諸葛亮は他者の目からこのように見えていたということ。意外と安定した性格に見えていたらしい。

なお、この箇所は私も同じ主義。当ブログでもよく書いている気もする。
「バランス、バランス」とばかり言うのでウザがられていると思う。笑
これがMBTIにおける「Aタイプ(公平さ・バランスを求める)」に該当する性質なのだとも言える。

諸葛亮は明らかにAタイプだという証明になるね。
もちろん自己主張が弱いので、極端なAタイプではないと思うが(私と同じく真ん中寄りだろう)。

>人は、高尚で壮大な志を持たなければならない

個人的にここの文の誤解が以降の文の誤解も生んでいると思っている。
「高く遠い志」とは、科挙が導入された以降の東アジア(日本も含む)では「勉強に励んで地位を得ること」と解釈されがちだ。
果たしてそんなくだらないこと、卑近で物質的なことが「高く遠い志」と言えるのだろうか? 
私はそう思わない。
もし諸葛亮が、「地上で地位を得ること」を「志」と呼んだのだとすれば心底から軽蔑するし、私とは縁のない人物として永久に忘れ去りたいと思う。
(おそらく諸葛亮はそういった地上的な意味で「志」と言ったわけではないのだが、後世の人たちには伝わっていないということ)

>最後には社会にとって何の価値もない人間となる
>そのような人物は永遠に凡人、あるいはそれ以下である

否。
私は「凡人」こそ最高の境地だと思う。
この「凡人」を見下すかのような発言は、事実として若かりし頃に隠棲し、「無為の凡人」に憧れた諸葛亮の言葉とはとても思えない。
翻訳文が悪いのか、あるいはやはり他人が付け足した文なのだろうか。

>人はどのような状況にも柔軟に適応し

ここの箇所に関しては、もし諸葛亮本人が書いたのなら、「お前が言うか大賞」をあげるべきだと思う。笑
アンチが揶揄するために書いたのではないかとさえ思えてしまう。

★その後、AIテキスト診断で調べてみたところ『出師表』と『戒子書』には多くの共通項があった。解釈は間違っていると思うし一部に他者の加筆があるのかもしれないが、『戒子書』も諸葛亮の書いた文と考えて良いだろう。

参考記事