「実は孔明は墨者(ぼくしゃ)だった!?」 K産主義ではないけどね

『実は孔明は墨者(ぼくしゃ)だった!?』、付きまとう科学者臭


はじ三の記事より。




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諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)と言えば、法事を厳正かつ公平に行う態度を取り、法家(ほうか)のイメージが強い人として考えられています。
ところが、そんな孔明の生涯を追ってみると、法家ばかりではない、秦末には全滅したと見られる墨家(ぼくか)の思想も感じ取れるのです。

孔明という人物を別の軍師と大きく分けているのは、自身の手によると考えられる、発明の数々です。
…(略。具体的な発明について解説。その他、高度な技術を持つ職人へ依頼して造らせた物の数々を列挙)…

当時、技術者の地位は格段に低かった

三国志に軍師は多く登場しても、孔明のように発明家のようなタイプはいません。それには理由があり、儒教全盛の当時、承認や職人という技術者は、文人に比較して卑しい仕事とされ、百工(ひゃくこう)と言われて地位が低かったのです。
…(略)…
孔明のように、高い身分にありながら、自ら図面を引いて、武器や運搬具の制作にあたるというのは、全く当時の常識外れだったのです。

翻って墨家を考えてみると、元々は職人のギルドであったという記述があります。様々な技術を持った職人たちが、自分達の城の平和を守る為に様々な兵器を造り上げて侵略に抵抗したのが墨者の特徴なのです。
技術者である彼等が職人をさげすむ筈はないので、孔明の態度は墨者の考えに近いそのように考えられるのです。

「墨者」とは、上記事の定義だと「科学者・技術者」のギルド集団のことである。

科学者か……なるほどね。

文系のくせに、何故か付きまとう科学者臭。

占星術的な余談、やはりこの人物はASC水瓶座だろうと結論付けられる。
参照:諸葛亮の星座は太陽・獅子座、ASC・水瓶座。出生ホロスコープ推測しました

たとえ文系でも科学者臭がするのが、水瓶座。
太陽にも月にも水瓶座がないのだとすると、ASCを抜きにして、いったいどこに水瓶座(科学者)の要素があるのやら。

ただ諸葛亮がいくつか発明のアイディアを出したことは事実でも、さすがに「自ら図面をひいた」と言うのは違うと思う。
読書しかしていない文系の人間が、そこまでの専門技術はないだろう。
アイディアのみ出して実際の図面は部下の技術者へ頼んだはず。
(だいたいアイディアを出すのは得意でも実行力がないのが水瓶座の特徴でして……)
筆者も科学や技術の話題が嫌いではないほうだけど図面はひけません。ひこうとすら考えたことがなかった。


技術者の不当な扱いへの嘆きと、墨者十論へのシンパシィ


それにしても、いつの時代でも技術者は不当に低く評価されるものだね。
私は技術がないので技術者を激しく尊敬するのだけど。

現代も、文系出の官僚や政治家ばかり権力を持ち、国家の宝として大切にされるべき理系出の技術者は下で使われている。
嘆かわしいことだ。

追記 「技術者を評価すべき」と言うのは国家の宝だから当たり前のことで、闇雲に労働だけを評価し、「インテリは無価値だから殺すべきだ」と説くK産主義を支持しているわけではない。日本において最大の宝、古代から受け継いだ伝統技術を守り抜くべきと私は思う。――ところがこう言って日本の技術者を高評価しようとすると、左の人たちは「ウヨ!」のレッテルを貼り、「日本スゴイ!叩き」をして潰そうとする。完全に矛盾していて頭がおかしい。要するに彼ら左翼の目的はK産革命という今さらの幻想を実現するため、日本を滅ぼすことだけなのだ。

私も、平等主義の墨家の思想は好きではある。
孟子も好きだが墨子もね。(ただし矛盾している点、どちらを選ぶか問われたら私は孟子派)
上が下を虐げるために歪められ、厳格化された「儒教原理主義」よりは、平等主義の墨子のほうが好きかもしれない。
行き過ぎるとK産主義っぽくなるので程々にしたいが
・兼愛(けんあい):全ての人を公平に隔たり無く愛せよという教え、

・非攻(ひこう):当時の戦争による社会の衰退や殺戮などの悲惨さを非難し、他国への侵略は否定するが自衛は認める。

・尚賢(しょうけん):貴賎を問わず賢者を登用すること。
「官無常貴而民無終賤(官に常貴無く、民に終賤無し)」
と主張し、平等主義的色彩が強い考え方。

・尚同(しょうどう):賢者の考えに天子から庶民までの社会全体が従う事で価値基準を一つにして社会の秩序を守り社会を繁栄させること。

・節用(せつよう):無駄をなくして物事に費やす金銭を節約する事。

・節葬(せつそう):葬礼を簡素にし祭礼にかかる浪費を防ぐ事。

・非命(ひめい):人は努力して働けば自分や社会の運命を変えられるという考え。

・非楽(ひらく):人々労働から遠ざける舞楽は人を堕落させるから否定する。

・天志(てんし):天を絶対者として設定し天の意思は人々が正義をなす事と規定、天意にそむく憎み合いや争いを抑制する。

・明鬼(めいき):善悪に応じて人々に賞罰を与える鬼神の存在を主張し争いなど悪い行いを抑制する。

人の道として正しい。
ただし非楽などは行き過ぎてはいけない。行き過ぎると最悪のK産国家になる

この墨家の思想が現代で叶えば人類みな平等で、納得のいく人生を送ることができるだろうに。
進んだ文明を持つはずの現代でも未だに叶わないどころか、むしろ離れていっている気がするのは私だけだろうか?

2018/12/2 追記 現代で墨子は、K産主義者たちが「K産思想と同じ!」などと勘違いして崇めているが、全然違うからな。もっと深い思想だ。
ちなみに諸葛亮もK産主義者とは全然違う。一緒にしないで欲しい。
暴力好きで人間性が破壊されているパヨクよ、あなた方が暴力を愛している点で諸葛亮とは全く違う。

孔明には、法家ばかりではなく風水に詳しいという道家の影響や
これまで述べた墨家の影響など、一つの思想ではない
多面的な人間像が見られます。
孔明を墨者と見るのは、それは違うという批判もあるでしょうが、
彼が当時の支配者層としては例外的に技術者を重んじて、
それを重要視していた事は疑いない事だと思います。
ここは全くその通りと思う。

>それは違うという批判

そんな批判があること自体、驚いてしまう。

たぶん、ルールに厳しいイメージなので「孔明は儒家だ!」「法家だ!」との思い込み等に頑なにこだわる人々が多いのだろうが。

歴史学もそうだが社会思想でも。
いったい何故、皆さん一つの思想だけにこだわろうとするのか私にはよく分からない。

法家も、道家も、儒家も、墨家も、どれも良いところがあるだろうに。
その代わりに偏り過ぎると、どれも悪の道・不都合な歪みへ通じる。
全てを俯瞰して正しいことを選び取ろうとは思わないのか?


結局、自分の意見を書いてしまった。申し訳ない。

孔明が俯瞰主義の理由、上から引用:
しかし、孔明の勉強法は、それ(一つ分野の詰め込み教育)とは違っていて、本を読んで、
大体の意味を理解すれば、次の本に移るという具合でした。

これならば、儒教だけにこだわらず、色々な書物に触れられるので
その膨大な読書の中から、孔明は墨家の思想に触れたのではないでしょうか?
>本を読んで、大体の意味を理解すれば、次の本に移るという具合

そう言ってしまっては身もふたもないのだが。笑
(あ、これもやはり本気の悪口だったか。ジョークと思って笑ってしまった。でも「色々な書物に触れられる」は正しい)

要するに大雑把で、一つ分野を突き詰めないということ。
これは当然ながら欠点でもあるのだけど、カルト思想に囚われ偏ることは何よりも人を愚かにする。
囚われることこそ最も恐れるべきだ。

※こう言うのは筆者も完全に同じタイプなので。自己弁護に当たりますか? 実際、私は見た目とのギャップがあり「意外に」大雑把なところあるらしく、驚かれる。そして家族には怒られる、笑。細部に目が届かないのは弱点でもある。ご批判は正当、そして自覚済。このブログでも誤字は山ほどあるはずなので、気付かれた方は遠慮なくご指摘願います。

続きの話。>>墨子を崇めるパヨクの勘違いと、私自身の思想について

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